【direct 2001年1月号 vol.15】 どこにもありそうで、誰かがすでに同じ様なことをやっていそうで、でも実は今まで聴いたことのなかったような、とことん人間的で生身で暖かい音。その「普通の中に潜むとんでもない非凡」を奏でてくれる非凡なる才能に僕は久々に心を突き動かされたものだが、その音の小隊は「初恋の嵐」なるバンド。 一度聞いたら二度と忘れられないくらいに衝撃的なバンド名だが、このバンド、あの元ヒップゲローの玉川高裕率いる日本孤高のカントリー・ロック・バンド、コモンビルの若きベーシスト、西山達郎による別プロジェクトだったのだ。彼がベースをギターに持ち替え、独特の甘くて切ない声を聞かせることによって、マジックははじまっていた。この若き才人、西山を直撃した。 ●西山君は今23歳だったよね。音楽体験はどうやってはじまったの? 「高校の頃はエアロスミスのファンクラブに入っているようなハードロック好きでしたね(笑)」 ●えっ、そうなんだ。でもキミの世代ってさ、後の音楽性とは関係なく「実は音楽初体験はメタルだった」って人、多いよね。 「そうですね。特に地方だったってこともあるし」 ●で、高校の時はメタルのバンドとかをやってたんだ。 「いや、そういうわけでもなくて。実際、僕の住んでた神戸なんてライブハウスって言ったらチキンジョージぐらいで。アマチュア・バンドのための空間ってなかったんですよねえ、なかなか。それで僕もバンドはやったし、ギター持ったけど、そんなにひんぱんには」 ●エアロとかのコピーは? 「う〜ん、やってないですね。レニークラヴィッツとかならやったかな。でもね、僕はエアロスミスとかの影響で買ったギターというのがレスポールだったんですよ。先の尖ったギターじゃなくて(笑)。この選択がその後の音楽的進路を決めるのは何となくわかりますよね(笑)。 ●ああ、なるほどね。で、それから・・・。 「サニーディ・サービスとかを聴きだすわけなんですよ。あれが転機で。それまで洋楽一辺倒だったんだけど、サニーデイ、いや、少し遡ってグレイト3からかな、日本のロックもいいなあ、って思って聴きはじめたんですよ」 ●あの頃そういう人って多いんだよね。実は僕もその一人なんだよ(笑)。そんなに衝撃を受けたのはどうして? 「勿論、70年代的な感覚とか、和物が新鮮に映ったということはあるんですけど、自分がエアロとかに凝る以前の中学生時代に、長渕剛の初期とか浜田省吾とか尾崎豊とか、ああいったものが好きだったことをなぜか思い出したんですよね。そんなの僕だけかもしれないけど(笑)。でも『歌もの』というものを意識するきっかけでもあった」 ●で、大学に入ってバンドを作るわけだ。それが既に初恋の嵐だったんだって? 「そうです。友達と最初に作って」 ●でも、大体何だよ、『初恋の嵐』って(笑)? 「意味はないですね(笑)。やっぱりサニーデイとかに凝ってた冬至の懐古趣味好きな若者がつけるタイトルって感じでしょう(笑)。当時はやっぱり70年代のヒッピーカルチャーとかに憧れてましたから。ベルボトムとか履くようなそんな感じの」 ●で、そんな大学の若者がどうやってあの玉川さんと交遊を持つに至るの? 「浪人のとき、サニーデイに凝っているのと同じ一環で、玉川さんのCDにも凝るんですよ。ヒップゲローは勿論のこと、フリーボとの共作盤まで。それでもう憧れちゃって。よくCDのオビとかに『レコ発記念ライブはシェルターで・・・』なんて書いてあるじゃないですか。それで『ああ、シェルターってところに行ってみたいなあ』って神戸から憧れ続けていたんですよ」 ●それで上京してそのライブに行ったんだ? 「そう。それで上京して喜び勇んでヒップゲローを見に行ったんですよ。『さぞ、たくさんの人で賑わっているだろうなあ』って思っていたら、そうでもなくて (笑)。それで、そのときのライブの対バン相手も大したことがなかったら『こりゃ、自分が対バン相手でもいいなあ』と思って」 ●それで声をかけてみて・・・。 「そうです。ちょうど初恋の嵐のデモ・テープがはじめて下北のライブハウスの人に認められて。それで自主イベントをやろう、ってことになって、それでヒップゲローを誘ってみたんですけど・・・、そしたら玉川さんが『実はヒップゲロー、解散するつもりなんだ』って切り出されて(笑)」 ●それでコモンビルを結成したんだ。 「そうですね。玉川さんに『一緒にやろうよ』って言われて。それでギターは玉川さんだったから僕は他の楽器でって考えて、ちょうど僕、そのとき駒沢さんのペダル・スティールの入った70年代のロックの作品がことごとく好きだったんですよ。それでペダル・スティールをやろうと思って買う直前までいったら、僕より先にペダル・スティールの名人がコモンビルに入っちゃってて(笑)。それでベースをはじめたんですね」 ●で、コモンビルに活動が移って行くわけだ。 「そうですね。最初は並行してたんですけど、そのうちコモンビルばかりになって。でも、あのバンドは本当にカントリー・ロックや60〜70年代のアメリカン・ロックの本当のマニアの集まりだったから、刺激ばかりで。そこでの勉強が今すごく自分の糧になってますね」 ●そうやってコモンビルでの活動メインの日々が続くことになっていたのに、また初恋の嵐をやることになったのは? 「コモンビルってバンドは、メンバー4人が集まってはじめて生まれる1つの共同体みたいなバンドで、そのコモンビルという1つの目標に向かって進むタイプのバンドなんですよ。その作業はもちろん刺激的なんですけど、そうしてるうちに『僕』という人間自身が本当に表現したい音楽的な欲求がたまってきたんですよね。それで初恋の嵐を再開しようとしてたときに、今のレーベルの人から声がかかったんです」 ●ズバリなタイミングだったわけだ。で、どういう音楽を初恋の嵐はやろうと? 「そういう音楽的なことを抜きに、自分が思うままを表現するのが初恋の嵐なんですよ。コモンビルは、音楽の歴史とか知識をすごく重要視するバンドなんですけど、僕のはそういう知識を全て消化・吸収した上で、改めて真っさらのまま表現するバンドです」 ●サウンド的にはニール・ヤングとか、ジェイムス・テイラーみたいな感触を感じるけど。 「それもすごく好きではありますよ。特にニール・ヤングには1番影響されたし。そういう匂いを極力消したかったんだけど、やっぱり出ますね(笑)。歌詞もサニーデイっぽいって言われるし(笑)」 ●でも。サニーデイとかはっぴいえんどとかの感じはしなかったよ。それよりはもっとメロウ・ムードが徹底している。 「ちょうどポール・サイモンの初期のソロとかを聴いている頃でその影響があるかな(笑)。でもそのメロウな歌ものというのは自分の中に否定し難くずっとあるものですから。それはちゃんと表現したかった。だから『バラードコレクション』なんですけど(笑)」 ●今回は3ピースでの一発録音だけど、このやり方はこれからもそうなの?メロウ好きな人はそのうちストリングスとかなんとか増えていきそうだけど。 「ですよね。その方が表現的に広がりのあるのもわかる。でも、僕としては、制限の多い中で精一杯のことを表現することの方がカッコいいなと思うんですよ。その条件の中で『うた』を伝えたいですね」 ●なるほどね。でも、ホント偶然だよね。キミらのデビューと同時に・・・。 「サニーデイ解散ですからね。ちょうど僕らがサニーデイ以降に受けた影響を消化してこれからスタートするばっかりのときでしたからね。縁は感じますね」 (インタビュー:沢田太陽) *原文ママ掲載 ●direct vol.15 (2001.1) ●TIME MARKET no.39 (2001.1.28) ●GB (2001.2) ●Player (2001.6) ●GB (2001.8) ●Quip vol.26 (2001.9.30) ●B-PASS (2001.10) ●UNDOWN (2001.10.25) ●Kheer vol.11 2001.10.25) [初恋の嵐 TOPページに戻る] Copyright (C) MOVING ON,INC. All Rights Reserved.
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