"LIONS IN MY OWN GARDEN" (不定期更 新コラム)

孤独な闘い

大昔のこと…僕がまだ地元・滋賀で中学生をやっていた頃、
5つくらい上の先輩(同じ学区だと思われる)が突然モヒカン頭になった。
皮ジャンに細いブラック・ジーンズ、そそり立ったモヒカン、という出で立ちで颯爽とチャリをこいでいる姿を
僕はある日突然目にし、ぎょっとしたのだ。
何だ?今のは…?。
あっけにとられた。心臓がドキドキした。
その先輩のことはよく知らなかった。でも、顔はどこかで見たような覚えがあった。
恐らく僕が小学校に入った頃、モヒカン先輩は高学年にいたのだろう。
でも、あやふやな記憶の上での話だ。はっきりとはしない。
しかし、とにかくその顔は前にどこかで見かけた顔だっただけに、僕は余計に衝撃を受けたのだった。
知ってる人があんなになってる。
いわゆるそれが極道パンクの生きる道だということも知っていた。
当時読んでいたミーハー洋楽雑誌ミュージック・ライフでも一応は(日本発売されてるなら)そういうハードコア・パンクも載っていた。
もう白黒ページのほんの隅っこの方にだけだったが。
でも、それはそれは強烈で、異彩を放っていたもんだった。
この全体に黒くてよく見えない写真は何?、アナーキーって何?、ポジパンって何?
中学生の僕にはとても危険な匂いがして、そのページの一角へはとても足を踏み入れられなかった。

今ならモヒカンも一般的認知があるだろう。
普通の人気バンドにもモヒカン頭はいるし、ベッカムが流行させた新種ソフト・モヒカンみたいに
ちょっとした浮ついた気分で仲間入りすることだって出来る。
でも、当時のモヒカン頭というのは相当覚悟を決めないとできない髪型だった。
どこか遠い外国で起こっている話ではなく、現実にその異端な髪型をして町中を歩かないといけないのだ。
勇気だってかなりいるだろう。
自分という存在すべてをパンクに捧げる決心がないと出来なかっただろう。
それに、敢えてもう一度書くが、これは大都市での話でもない。
滋賀県の片田舎での話だ。
誰も注目していないそんな場所で、その頭で生きていかなきゃならんのだ。
・・・。今にして思うことは、モヒカン先輩はずいぶん孤独な闘いをしていたんだなぁ、ということ。
21世紀のポップ・パンクをやる上で(ファッションのひとつとして)モヒカン頭を選択するのとでは次元が違う。
まぁ勿論、現代のモヒカンさん達もどこかで闘ってはいるのだろうが、これだけは言える。
彼らは今、そんなに孤独ではない。
そう、モヒカン先輩は本当に孤独だったのだ。
僕の田舎には、他にあんな頭をした人は誰一人としていなかった。
孤独だったからこそ、モヒカン先輩はとても気合いが入っていたし、本物のパンクだった、と僕は今思うのだ。

そんなモヒカン先輩に僕はある日、急接近したことがあった。
小泉町の田中書店へ立ち読みへ行ったら、モヒカン先輩が一人でマンガを立ち読みしていたのであった。
その時はやべぇ人に遭遇した!と思って、そそくさと退散したのだが、
ちらっと見えた先輩の横顔は案外素朴だったことが印象に残っている。
そして、何だか淋しそうだった。
平日の昼間っからママチャリを漕ぎ、本屋に立ち読みに来るぐらいだからあんまり良い人生ではなさそう…
ということ以上に彼のパンク極道と比較して、その行動が実にアンバランスで、何とも言えない寂寞感が漂っていたのであった。
モヒカン先輩だって「キャプテン翼」を読みたかったんだ。
僕は家に帰りながら、そう思った。
しかし、そんな冴えない立ち読み時でも先輩はきっちりモヒカンを立てていた。
言いかえれば、そんな時でもモヒカン先輩は闘っていたのだろう。
パンクスとしての矜持をモヒカン先輩は立ち読みの時だって、捨てていなかったのである。
あの姿は本当にものすごく孤独な感じがした。
時々僕は不意にモヒカン先輩のことを思い出すことがある。
あれから何年経ったのだ!。随分昔のことのように思える。
モヒカン先輩はただのオッサンになってしまったのであろうか。
それとも、まだ滋賀県のどこかで埋もれながらも闘っているのだろうか。
僕もひとつ頑張るとしよう。
最終的に僕はいつもそう思うのだった。



お茶

お茶、と僕は略して呼んでますが、今回は「お〜いお茶」の話です。
詳しく書くと、そのパッケージに書いてある新俳句の話。
僕はこの新俳句が昔から好きだった。
でも、小学生の部限定。
どうも中学生以降は作為的な部分や、大人になりかけのいやらしい部分が出てしまうので、よろしくない。
やっぱり小学生。それも低学年が良い。
「さわりたい 校長室の 優勝旗」
「ねるまえに もういちど見る 雪だるま」
などなど、傑作として僕の胸のなかに残っています。
だから、僕も考えてみました。
低学年風の俳句を。

では、どうぞ。


「手がくさい 集めすぎたよ だんごむし」
「耳クソを モチにまぜまぜ きなこもち」
「鼻クソを 丸めてご飯 いただきます」
「紙粘土 先生の息 紙粘土」
「僕だけが とっても元気 臨時休校」
「気がついた 妹いじめて ひなまつり」
「じいちゃんの ズボンのチャックは やる気なし」
「大好きな 絵本を読んで おるすばん」
「お相撲さん 口を開けば ごっつぁんです」
「そろばんで スケボーやったら 怒られた」
「あんぱんを やり過ぎて死ぬ アンパンマン」
「ランドセル 背負って家族を 喜ばす」
「赤上げて 白上げないで 凧上げた」



最高の死に方

昔、誰かからイヤな死に方の話を聞いた。
実際の話で、塩工場のタンクに落ちた作業員を助けるために、タンクから塩を全部抜いたらミイラのようにカラカラに乾いた死体が出てきた、というものだっ た。
最悪だ。
シワシワなのだ。
死体の顔をパッと見ても、きっと誰だかわからなかったことだろう。
全身の水分を抜かれたのだ。
きっと半分くらいに小っちゃくなっていたのだろう。
葬式の前にお湯で戻さなくてはならん。
イヤな死に方だ。

ところで、みんな雑誌って好きだよな。
多種多様なジャンルはあれど、雑誌というフォーマットは絶対的な人気がある。
景気悪化で廃刊に追い込まれる雑誌が増えようが、どこか一方ではまた新しい雑誌が創刊されていく。
雑誌は決してなくならない。
いつだって雑誌は人気があるのだ。
いつだって僕らは雑誌を買ってしまうのだ。
どうしてそんなに、皆が皆雑誌を好むのか…。
実は僕は知っている。
常に最先端の情報や原稿が読めるから?。
パラパラとめくって眺めるだけでも楽しいから?。
少ない時間でも長い時間でも、とにかく暇をつぶせるから?。
ウムウム。どれも近い。
でも、違う。
答えはあの匂いだ。
みんな雑誌特有のあの匂いを、本屋でかいじゃうと無性にその新品ツルツルな雑誌を欲してしまうのではないか。
雑誌が好き、とはつまり新品の雑誌のことを指すはずだ。
みんなあの匂いが大好きなのだ。
あれを嗅いじゃうと、無性に雑誌が欲しくなる。
僕は美容院や病院の雑誌が嫌いだ。それは新品でも既に人の手垢にまみれているからだ。
古本雑誌も当然嫌いだけど、それは古いからじゃなくあの匂いが無いからだろう。
ビニールに包んであったとしても、ひどいものになると家に帰って開封するとヤニやカビの匂いがして、一気にテンションが落ちたりするもんだ。
僕は雑誌に他人の匂いは求めない。
製本所で刷り上がったばかりのあのインクの匂いを求める。
雑誌を買うことは、つまりあの匂いを買うことなのだ。

そう、そこで僕が提案する最高の死に方。
それは首都直下型の大地震が起きたその瞬間、雑誌の問屋にいることだ。
そこで新雑誌に埋もれて窒息死するのだ。
あの匂いに圧しつぶされ、恍惚の境地で死ぬのだ。
死に際に出る、と言われる脳内麻薬の分泌もさぞや促進することだろう。
尋常じゃない最高の死に方である。
大型書店の雑誌売り場でも最高だが、そこじゃさすがに圧死するほどの雑誌体積は無いはず。
最高の死に方をする為には雑誌の問屋に就職するしかないのだ。
ううむ。
しかし、よく考えたら問屋ってのはいつもヒモで雑誌を縛ってるからあの匂いはしないのか。
悩むな。
どこか意味なく天井まで高く雑誌を積み上げてる本屋があればベストなんだけど…。
どっちにしても、塩工場で働きたくはないよな。



スリリングな床屋

その昔、僕はスリリングな床屋に通っていた。
高校生の頃だ。
カミソリ使いが下手な床屋、親父がモーロクしている床屋、もみあげはテクノにしますか?といまだに訊いてくる床屋など、危険な匂いを放つ床屋は色々とある だろうが、そこだけは特別だった。
何とそこの床屋の主人は、人を殺したことがあったのだ。
昔殺人を犯して、今は刑期を終えた主人が髪を切ってくれるのだ。
カミソリで顔も剃ってくれる。
僕がその噂を聞いたのは、そこに通い出してからしばらく経った後だった。
何も知らないで僕はその床屋に「ちょっと安いから」という理由だけで何ヶ月も通っていたのだ。
散髪の腕の方は特に問題なかった。
ただその主人は的場浩二似の無口な中年男性で、得も知れぬ迫力があったのは確かだった。
通い出した頃から僕は目付きがマジでちょっと怖い感じだな、と思っていたのは確かだったのだ。
時々シェパードやシベリアン・ハスキーと不意に目が合って、その攻撃態勢のマジ加減に怯むことがあるけれど、それに近い。
散髪の仕上がりに文句を言おうものなら、一喝されそうな眼力があった。
僕は「噂は噂だろう」と思おうとしたものの、その情報筋はかなり信頼できるもので、どうやらそれは間違いなく事実だった。
僕は主人のあの迫力と“元殺人犯”という影の肩書きを重ね合わせて、戦々恐々としてしまったのだ。

問題はそこから先だ。
そろそろ髪が伸びてきて、散髪しなきゃならんな、と思った頃。
僕は選択を迫られた。
いつものようにその床屋へ行くか、それとも別の床屋を開拓するか。
――いつものように行く、とは言っても僕はもう伏せられた事実を知ってしまっていた。
意識せざるを得ない。
人を殺した人にこの身を無防備に預けなくてはならない。
無論、いきなり理由もなく殺されたりするわけはないのであるが、どう考えてもやっぱり怖い。
相手はハサミ、カミソリをその手に握っているのだ。
もしかしたらドライヤーであぶり殺されるかもしれない。
じゃあ、やめればいいじゃん、と思われるかもしれないが、そういうわけにもいかなかったのである。
僕は堂々巡りの考えをするうちに、別の床屋へ行く事をその主人に発覚したらヤバイ、と恐れてしまったのだ。
常連だったのに他の床屋に乗りかえたとバレた時、殺意が芽生えるかも…と考えてしまったのだ。

僕は悩んだ。
十代の頃、特に悩んだ経験はないものの、この時ばかりは悩んだ。
先生にも相談できなかった。
これはもう究極の選択である。
で…、結局どうしたか。
そう、僕はその殺人床屋へ、意を決して行ったのであった。
あの主人に殺意を抱かせない道を選び、ボサボサの髪を乗っけて行ったのだ。
客は僕一人だった。
店には元ヤンキーといった風采の奥さんらしき女性と、例の主人が不機嫌そうに待ち構えていた。
入った瞬間に僕はもう後悔してしまった。
殺される。
何故かそう思ってしまった。
そう思ってからは地獄だった。
今まで感じたことのない緊張感が全身に走り、それが店じゅうに伝わっているような気がした。
僕はその緊張感をごまかそうと、何とか平静を装うとした。
主人は「今日はどうされます?」と訊いてきた。
僕は「任せます」と答えた。
これがまずかった。
元殺人犯は「任せます」がお気に召さないのだった。
一瞬、間(ま)が空いた。
僕は殺気を感じた。
もうダメだ!。死ぬ!。
すると、奥さんが絶妙のタイミングで助け船を入れてくれた。
「いつもと一緒でいいですよね」
「ハ、ハイ!」
彼女は命の恩人だ。今、僕が音楽活動をできるのも全て彼女のおかげだと言ってもいい。
ともかく、その日の散髪は終わった。
僕の髪型は妙にぴっちりしていた。
模範高校生のようであった。
全然ロックじゃなかった。パンクなんて海の向こうの話だった。
でも、全然よかった。
次の日、学校で「ぴっちりしてるやん」と友達にからかわれたが、もう僕はどうでも良かった。
生きてあそこから帰れただけで幸せ、とその“ぴっちり髪型”を愛しく思ったぐらいだった。

スリリングな床屋。
その床屋は数年後、いつのまにか無くなっていた。
僕はその後もしばらく通ってはいたが、大学生になってからは行かなくなった。
僕は店をたたんだ理由を考えてみた。
元殺人犯、という世間の風評に負けたのだろうか。
案外、主人が体でも壊してしまったのだろうか。
奥さんと別れてしまったのであろうか。
それとも、客に逆上して殺してしまったのであろうか。



それが間違ってるのは、分かっているよ

傘が盗まれるのである。
僕は愛用自転車のサドル横にコンビニ傘をいつも携帯しておくんだが、それがもう何度も何度も盗まれるのである。
同じマンションの住人に盗まれたことだってある。
けしからん話だ。
誰も見てなけりゃ傘ぐらい盗んでもいいのか。
この世に盗人は何人いるんだ!。
一体、東京って街はどうなっておるのだ。
梅雨時だってのに、これでは何回傘を買い直してもラチがあかん。
というわけでこの前、僕は作戦を考えた。
というより復讐だ。
不特定多数の“平気で他人の傘を盗む馬鹿者”への復讐。
先ずは透明傘に黒マジックで大きく「私は傘ドロボーです」と書き込んだ。
で、マジックの文字が外から見ても分からないように、傘を巧妙にたたんで、
自転車に携帯してやったのだ。
傘をパッと広げると、中味が突然見える仕組み。

…当然、それを自分でさす時のことも考えた。
かなりのマヌケである。
「私は傘ドロボーです」
誰も僕の事情を察してくれる者はいないだろう。
でも、僕は自分がどう思われようが、それはもうどうでもいい事なのである。
問題は盗んだ奴にどうダメージを与えるか、である。
というより実際の所、文字は外からは逆さになって見える。
犯人に読めるように文字は内側から書いてあるのだ。
だから大丈夫。
外から何が書いてあるかを判断することなど、到底無理なのである。
ん?なんか書いてあるな、ぐらいにしか思われない筈だ。
多少、変な奴に見られてもいいじゃないか。
それより盗んだ奴が傘を開いて、曇天を見上げた瞬間にどういう気持ちにさせるか、
が僕にとっては大事なのである。
僕自身は自分で書いたと知っているので「私は傘ドロボーです」と書かれた傘をさすことなど、何でもない。どうってことない。
それより実際盗んだ奴に、予想だにしなかった屈辱を味あわせてやりたいのだ。

しかし…。
その傘を仕組んだ日から梅雨は中休みに入ってしまった。
なんだか、つまらない。
僕はあれから「早く傘が盗まれないかな」とずっと思っている。
無事に傘が自転車にくっついているのを見ると「チッ」と思ってしまう。
ああ、たしかに。
それが間違ってるのは、分かっているよ。



しっかりと痕跡は残されて

朝、寝床から起きて洗面台に立つ時、最近気にしていることがある。
眠った間に出来ている眉間のシワだ。
ちょうど横山やすしが眼鏡を上げる場所(「怒るで!しかし」)あたりに、いつもよこ筋が1本入っている。
それは薄っすら赤い。
怪訝に思い、鏡の前で眉をしかめると、それはよりくっきりと浮かび上がってくる。
そう、それはシーツや枕の跡なんかじゃなく、そっくりそのまま僕の顔の表情に沿ったものなのだ。
そして、その時の僕の表情はひどく苦悩したようなものに見える。
この顔のままでずっと寝ていたのか…。
そう思うと僕はいつも不安になってくるのだ。
そしてそれがここ最近、毎日続いているわけだ。
別に毎日悪い夢を見ているわけではない。
暑くて寝苦しい夜が続いているわけでもない。
自分としては取り立てて変わったことのない眠りが続いていると思っている。
それなのにこんな苦悩の表情をした痕跡がシワとなり、顔に残っているのだ。
少なくとも数十分その表情のままでないと、シワにまではならないだろう。
…謎なのである。

僕は日常生活では温和な方である。
だから、こんなしかめっ面は普段はしていない。
起きてるあいだじゅう何かを考えている僕ではあるが、別にそれは苦悩ではない。
苦悩を全くしていないわけではないが、少なくとも寝てる間に苦悩した覚えなどまるっきりないのだ。
だが、実際には毎朝、眉間に出来たてホヤホヤのシワを作っている。
寝ているあいだに僕が苦悩の表情をしているのは痕跡からして、間違いないのであった。
…謎なのである。

そもそも僕は睡眠が大好きだ。
そういう内容の曲もいくつかあるように思う。
一生つける仕事は睡眠学習のモニター・バイトぐらいだ、と大学4回生の頃には思っていた。
なのに何故なんだ?。
何なんだ?このシワは。
…謎なのである。

そのシワは午前中には消えてなくなる。
昼前には顔も落ち着き、頭もすっきり冴えてくる。
人と会うとすれば、それ以降だ。
「やぁ」と爽やかに手を上げて挨拶する僕がいる。
朝まで苦悩のシワを眉間に刻んでいた男には見えないかもしれない。
まぁでも、こんなことではそのうち僕の「やぁ」にも翳りが出てくるに違いない。
だんだん会う人々にも僕の眉間のシワがうっすら見えてくるのだろう。
今は午後には消えるシワでも、ごく微細に痕跡は残されて、それが蓄積されていくのは明白だろう。
その時になって初めて僕自身も「ああ、苦悩してたんだ」と気付くのだろうか。
その理由に、はたと気付くのであろうか。



余分に叩きのめしはしない

道をテクテク歩いていたら、丸々と太ったルイ・ヴィトンの財布が落ちていた。
この世では時々、予想だにしなかった大胆な事件が起きる。
僕はハッ!と思い、その時考えていたこと全てを忘れた。
先ず、僕は自分の目を疑った。じりっとそれににじり寄り、顔を近づけていった。
やっぱり財布だ。
次にテレビ好きとは情けないもので、僕はまわりにカメラがないか、辺りを見渡してしまった。
もしかしたら怪しい人影がレンズから僕を覗いているかもしれない。
普通こんなこと有り得ないし、絶対におかしいのである。
でも、よくよく考えてみればその時は真夜中。しかも、そこは人通りの少ない路地。
そんな場所でドッキリを仕掛けるわけがないのであった。
ビデオ・カメラだって暗くてうまく撮れないに違いない。
人をはめて笑うには地味すぎるシチュエーションである。
僕は少し迷ったけど、その財布を手に取ってみた。
不思議なもので、それを手にした途端に犯罪者のような気がしてしまう。
人の財布を無断で触るのは、うしろめたい気がするものなのだ。
だけど、僕は“こうして自分が手に取らなきゃ、誰か他の悪い奴の手に渡ってしまうかもしれない”という無理矢理な正義をふりかざした。
うしろめたくなんかない、そんな風に思うんじゃない。これは市民としての義務じゃないか。
僕はそう自分に言い聞かせた。
で、早速、財布の中身を見てみた。
1万円ちょっとしか入ってなかった。でっぷり太っていたのは、カードやらレシートを大量にため込んでいたからだった。
ちょっと拍子抜けした。すごい札束が出てきたらどうしよう、と内心思っていたのだ。
財布の中には○○大学の学生証が入っていた。
都内在住の男。20才だと記載されてある。
無防備だ。何もかもが書いてある。
顔写真を見たら冴えない男だった。私が財布を落としました、という顔で僕を見ている。

その時、僕は不意に数日前同じように財布を落とし、ダウナーになっていた女友達を思い出した。
連鎖的に彼女のへこんだ顔が脳裏に浮かんだ。
拾った財布の持ち主の顔を見てしまうと、もうそれはただのモノには見えなくなってしまう、ということなのだろうか。
僕は、その女友達から話を聞いた時は「落とした方が悪い」と冷淡に言い切っていた。
確かにそれは言えてる。この世知辛い世の中、見ず知らずの者に分けられる思いやりを期待していたら、余分に叩きのめされるもんなのだ。
この財布を落とした学生も、絶対的に自分の方に非がある、という顔をしていた。
でも。
やっぱり僕はその女友達が不憫だった。
彼女の場合、警察に届けたけど、結局何も出てこなかった。
誰かにネコババされたのだ。
彼女はトラブルを背負い込んだオーラを全身から発していて、顔は疲れきっていた。
彼女の大切な一日一日がすっかりふいになってしまった。そんな様子が痛いほど伝わって来ていた。

実は最初この財布を見つけた時、僕はグッとこらえて見なかったことにしてその場から立ち去ろうか、と思っていた。
その時は深夜まで続いたレコーディングからの帰りで、もう早く家に帰って寝たかったのである。
これをどうにかすると面倒なことになるぞ、と睡眠マニアな僕は思ったのだった。
でも、このマヌケ面の写真を見てしまった。財布の持ち主の顔を知ってしまったのだ。
で、連鎖的に身近な友達のへこんだ姿を思い出してしまった。
「落とした方が悪い」と彼女には言ったけど、その前提となる世に蔓延る悪い奴に自分が加わるのは、なんだか彼女に対して思いやりが無いように感じられた。
僕らは友達だ。
しょうがない。
僕は彼女の為に踵を返し、駅前の派出所にその財布を届けに行った。
くそっ、くそっ、くそっと悪態をつきながら。
どうしてこのマヌケ面大学生がこんなラッキーな目に遭わなきゃならんのか。
それだけが今ひとつ納得出来ないのであった。



数字のはなし

先日、運転免許証の更新に行って来た。
そこで、簡単な講習も受けた。
年末年始のテレビ・ニュースで簡単に数字を言っているのを軽く聞き流していたけど、交通事故の死亡者数ってここ数年で激減しているらしい。
教官がそう強調しているのを聞いて、僕は認識を新たにした。
飲酒運転やスピード違反の取り締まり強化、シートベルトの着用義務などを進めてきたのが、その要因のひとつ、と教官は偉そうに言っていたけど(他にもエ アーバッグの普及とかがある)、逆に考えると今までそれを甘くやっていたから、死亡者数が年々増え続けていたのだろう。
僕はそう思ってしまった。
去年日本で警察の取り締まり強化のおかげで死ぬはずだった人が、何事もなく今もたくさん生きているという事は良い事だ。
が、今まで警察の怠慢のおかげで死ななくても良かった人がたくさん死んでいる、という事実も浮き彫りになった。
あれはそういう数字だ。
こんなに効果が数値として覿面に表れるとは、実は警察側も予想してなかったんじゃなかろうか。
分かっていたらもっと早くにやっていただろう。
今や警察はきっとこのリアルな数字にちょっと身震いしているはず。
そう、今までの責任をもっと追及されてもいいはずなのだ、警察庁は。
だから、偉そうに言うな。
ペーパー・ドライバーより。



風呂でリラックス

オシッコが3分くらい止まらなくて、ずっとオシッコしてたら、そのうち便器が溢れそうになって困った夢をみたことがありませんか?
僕は今朝みました。
起きたらすごくオシッコいきたかったです。
オシッコと言えば、最近は尿素入りの入浴剤をよく使ってる。
尿素ってお肌に良いらしい。
僕は30を過ぎてもまだ顔とかツルツルなので、別に気にすることはないと思うのだが、腰や背中だけはよく乾燥して痒いのだ。
それで、それを風呂に入れてみることにした。
入ったら体がヌルヌルになるんだな、あれって。でも、それをシャワーで流しちゃいけないのだ。
間違って流してしまったら、もう一度入り直す。
ってことを僕は毎日やっている。
アホらしい。
今回の内容は女みたいなので、覚悟するように。
風呂というと今までの僕の定番は紅茶を持って入る、ということだった。
カップになみなみと熱湯を入れて、ティー・バッグのひもをカップのふちに下げたまま、バスタブ付近に持っていく。
で、優雅な気分でくっと飲むのだ。紅茶は体があったまる。
頭を洗った後などは、髪の毛から滴り落ちた水がカップに入って困るので、近年はシャンプーハットでも買おうかな、と思ってる。
それをかぶって紅茶を飲む姿は相当にマヌケだろうが、不純物のない紅茶を味わうことの方が僕には重要に思えるのだ。
そう言えば、子供の頃には僕もシャンプーハットをしていた。
流行っていたのかもしれない。
思い出すのは、しっかりはめてても目をつむってしまっていたことだ。
昔っから疑い深かったのかもしれない。
それに耳より後ろが上手く洗えないのが、あれは難点だ。
なので、いつのまにか使わなくなってしまっていた。
だから修学旅行の時、シャンプーハットを持って来てた奴がいて、僕は驚いた。
何とそいつはシャンプーハットをうまくずらしながら、頭を洗っていた。
小学校高学年にもなって、シャンプーハットもないだろう、と僕はバカにしつつ、小学校低学年には考えつかなかったアイディアだなぁ、と思ったのであった。



疲弊した夜

久し振りに満員電車というやつに乗った。
夜の8時頃、都営地下鉄だ。
少し酔ったおじさんや疲れた表情のOL、コンビニ袋を持った老人や厚着した若者グループなどなど、多種多様な人達が狭い空間の間にひしめき合っていた。
車内は冬なのにムンムンとしていた。
僕はと言うと、ギターを持っていたので周りに迷惑がかからないよう、そればかりを考えていた。
その時、車内にアナウンスがあった。
それは普段電車に乗っていても、あまり耳にしないアナウンスだった。

「車内大変込み合い、ご迷惑をおかけしております。只今、大変混んで参りましたので、暖房は送風に切り替え、消臭装置をつけさせて頂きます。失礼致しま す。ガチャ」

…僕の聞き違えだったのだろうか。
とにかく僕はびっくりしてしまった。本当、失礼致しますだ。
あんたらクサイから消臭装置をつける、と僕らは堂々と宣言されたのだ。
だけど、他の乗客は誰一人としてそのアナウンスには反応していない。無表情なまま思い思いの世界に入っている。
それはいつもの事だからなのか…。それとも本当に僕が単に聞き違えたのか…。
数分すると、僕はさらに驚いた。
ムンムンとした車内が過ごしやすくなってきたのだ。
人間の体臭、酒タバコ、化粧品、そしてよく分からないケモノの匂いが気付くと薄らいで来ているのだ。
僕は妙に納得してしまった。
そうか、みんな内心これを待っていたのか、と。アナウンスに対して拒絶反応なんてある筈がない。
反応があるとすれば、心の中でホッとしている程度なのだ。
言葉尻にいちいち敏感に反応する僕のような者はまだまだ甘い。
乗客も、車掌もみんな細かい言葉の扱いはもうどうでも良くて、(自分も含めた)人間が集まるとクサイ、という事実を共有認識とした上で、早く消臭装置 を!ってところだったのだろう。
勘違いかもしれないが、僕は車内のそんな空気を嗅ぎ取った。
僕は今夜、麻痺した都会人の疲弊した夜を目撃したのであった。



アメリカとイギリス

アメリカとイギリスがまた強引に戦争をしようとしている。
今回はそういうわけで、それに関連してこの前読んだ本に書いてあった話を引用したい。
ロシア語の通訳で時々テレビに出てくる米原万里女史の本だ。
メシのまずい国は戦争好きなんじゃないか、と彼女は書いてたんだな。
なかなか興味深い意見である。
彼女は世界各国を旅したり住んだりしたそうだが、やはりアメリカとイギリスの食文化は他と比べて貧弱だと思ったらしい。
僕もアメリカへは行ったことがあるが、あの大味な料理には2、3日で参ってしまった。
何と言うか量だけ多くて、食材そのもののコクとか旨みが感じられない料理ばっかりなんだな。
繊細さを否定したかのようなものが多い。
アメリカの巻き寿司は歯に海苔がつくのがイヤという理由だけで海苔の方が酢飯に巻かれている。
理由が味に何の関係もないのがアメリカらしさなのだ。着色料バンザ〜イ!な食品も多い。
あと、ホテルでもデリでも本屋でも雑貨屋でも甘い香水の匂いがしていたのが不思議だった。
ぷ〜んと同じ匂いがほのかに香っている。
それは直接料理には関係ないんだけど、ああいう甘ったるい感覚が街中にあるんだから美味しい料理を
期待する方が間違っているという気に僕はさせられたもんだ。
勿論美味しいお店はあるんだろう。けど、平均的にレベルが低いのは間違いない。
イギリス、アメリカでは根付いたベジタリアン文化もそう考えてみたら不気味なものだ。
味にはこだわらないからこそ、根付いたのか・・・。

さて。
彼女は「美味しいものを食べると幸せになれる」というような主旨のことを書いていた。
美味しいものを日常的に食べていれば争う気があまり起きないと。
逆に美味しいものを食べていないと攻撃的になるのだ、と。
その昔の日本の農民一揆だとかを例に出せば分かり易いかもしれない。
現代のアフリカだってアジアだって、いがみ合っている国は貧しい国同士が多い。
戦争に根性で勝っていた頃の日本は“粗食は美徳”という文化をうまく利用していたのだろう。
彼女は逆説的に「実際戦争が起これば有利なのはまずい食事でも苦にならない国だ」とも書いていた。
フランス人兵士は戦地でもフルコースを要求したりするそうで、戦争向きではないそうだ。
その点アメリカとイギリスはどこへ行っても平気だ。
ビスケットに真っ赤なジャムをてんこ盛りにのせれば若い兵士は大喜びなのだ。
最後に彼女はこう締めていた。
アメリカとイギリスの食文化を良くすれば世界は平和になるだろう。
ま、そういうまとめになるよな。
でもそれはそんなに簡単な話じゃない。
何千年もの昔から彼らの血は闘いを求めて移動し続けてきたのだ。
侵略の時代が終わり、定住に至った今でも彼らの血は本能的に闘いを求めてしまうのだろう。
だから、そんな彼らの血は旨いものなんて求めないのだ、多分。
そういう人達に美味しいもんでも食べて平和に行こうよ、と言ったら逆にいらぬ火の粉が降ってきそうで怖い。



クリムゾン・キングの宮殿

僕は大学時代、ピアノ・電子オルガン・インストゥルメンタル部という音楽クラブに在籍していた。
ただ勧誘されるがままに主体的なものは何もなく入ったのだ。
だから最初は居心地があまり良くなかった。
でも、そのうちクラブ内に仲の良い友達が沢山できてくると、何となくクラブ自体にも愛着が出て来たのだった。
軽音学部なんかに比べると“頑張ってるけど、報われない感”があって、しかし、こんな名称じゃ仕方ないわ、というヌルさもクラブ内にどこかあって、好き だった。何となく僕を守ってくれるような気がしたもんだ。
しかし、それは今になって思うことで、当時はもう少し熱かった。
2回生になった時、新入部員を勧誘するにあたって、僕はクラブを宣伝する看板を任された。大学の構内に立て掛ける大きな看板を描き、設置するという係だ。
で、僕らニ回生は考えた。多くの新入生を獲得する為にクラブの名前のイメージを少しでも変えるデザインがいいな、と。
…で、ミーティングを重ねみんなで考えた挙句、その答えはこのアルバムのジャケットだ、という極論に達してしまったのだ。キング・クリムゾンの衝撃的なデ ビュー・アルバム。
プログレ好きな若人を少しでも惹きつけようぜ、という大胆な企て。
それから一週間かけて、僕はみんなに手伝ってもらいながらこのジャケットの拡大版完コピ看板を描き上げたのだった。
それはかなり本物に近く、随分と迫力もあった。なんせ自分の背丈より大きいのだ。
はっきり言って美術部の看板より明らかに優れており、技術もあり、僕は我ながら惚れ惚れとしたのでありました。当然みんなも気に入ってくれた。
…しかしだ。結果的にプログレ好きな一回生など一人も入ってこなかったのだ。
大失敗だったわけである。
入部してきた一回生に「あの看板見た?」と訊くと「あれを見て入ろうかどうか迷いました」と言われる始末だった。
“頑張ってるけど、報われない感”
…僕は入部して1年もがいているうちにすっかりピアノ・電子オルガン・インストゥルメンタル部に相応しい一員となっていたのであった。
メデタシ。メデタシ。



町で一番有名なパンツ

自転車で走るのは好きだけど、たくさん車が通る道を走るのは好きじゃない。
排気ガスに弱いのもあるし、たらたら走って平和にいきたいというのもある。
夏ならそっちの方が日陰があって涼しいし、市民の営みも窺えて人間的という気もする。
そんなわけで、僕がいつも何気なく走っているのは、そんな車のあんまり通らない道路だ。
僕の家の近所にもそんなお気に入りの道がちゃんとある。
商店などはあまりないので印象としては地味だが、駅に繋がる道であり、人通りも多いので何となく活気がある。犬と散歩している人の率も高い。
別に車も普通に走っていて良いのだ。しかし老人や子供、それにオバチャン自転車などの通行量が多い所為で、申し訳なさそうにゆっくり走らないと顰蹙を買う ような。そんな道路だ。
僕もそこでは安全運転をしないタクシーに対しては挑発的な乗り方をして、困らせてやったりする。
それがここでの正義であり、掟なのだ。

この前、季節外れの台風が2つもやってきた。
その暴風雨で飛ばされたのであろう。
そんな道沿いのブロック塀に男性用のトランクスが高々とかけてあるのだ。もう何日間も。
それはグレート・ブリテン、大英帝国の国旗がデカデカと描かれた、ちょっと素敵なパンツである。
それが気になっている通行人は僕だけではあるまい。
恐らくその道を利用する人々の目それぞれにしっかりと刻み込まれているに違いない。
老人や子供、オバチャン自転車も見ている。出前の岡持ち、女学生や失業者も見ている。
通る度に見てしまう。目立つから。まだ持ち主は気付かないのか、と僕なんか思ってしまう。
もしかしたら持ち主は気付いているのかもしれない。
それを今更取るのが恥ずかしいだけなのかもしれないな。
そのマヌケな現場を誰かに見られるかもしれないし、取り戻したその大英帝国にまた足を通す瞬間が何とも…。
ブロック塀から突き出た、錆びた金属の棒。そこに誰かが親切でぶらさげた台風パンツ。
あれは今、町で一番有名なパンツだ。



事の次第

作業員風の男性2人が大きな声で場違いな問答を繰り返していた。昨日行った病院の待合室で。
デリカシーに欠ける奴らだな、と思って僕は注意してやろうかと考えたんだけど、止めといた。
ガラにもないからだ。
そのかわりに問答の内容を盗み聞きする方が僕らしいと思ったので、盗み聞きすることにした。
「作業ポイントの指示は○○さんだったよね」「ハイ、そうです」
「天気は曇り、だったよね」「ハイ、朝は雨が降ってましたけど」
「○○機の電源は入ってた?」「ハイ」
「今までにこういう経験は?」「ああ、こういうのはないです」
何を話しているのか全く検討がつかなかった。
病院のメンテナンス関係かゴミ収集業者かな、と予想してみたけれど、外れている感じがした。
ま、そんな推測でいっぱいいっぱいだった。こっちは体の具合が悪くてそこにいたのだ。
とにかく彼らは上司と部下の打ち合わせをしていて、その場所がないので待合室でやっているんだ、と
僕はいい加減にこの問答のやり取りを片付けることにした。
しかし、しばらくしてその質問を受けていた部下が診察室から名前を呼ばれたのだ。
やおら彼は立ち上がり、同時に上司も立ち上がり、彼らは診察室へ歩いて行ったのだった。
足取りは多少重い感じがした。彼も何か病気だったのか?

その後、僕も診察を受けた。診察室に入ってみると、もう既に彼らの姿はなかった。
別に特別気になっていたわけじゃない。時間が経っていたので、むしろ半分忘れかけていた。
しかし僕が採血のため処置室に連れて行かれると、そこに彼らは神妙な面持ちでいたのだ。
部下は丸イスに座り、上司はその横に立ち、腕を組んでいた。
そして担当者であるらしい女医とまたさっきのような問答を繰り返していたのだ。女医は質問した。
「見たことない種類でしたか?」「ハイ」
今度こそ僕は真実に近づけると思った。どうでもよかったんだけど、思い出すと気になり出すものだ。
そして真相はすぐに明かされることとなった。上司が半分嬉しそうに付け加えたのだ。
「見たこともない虫だったそうです」
僕はハッと思った。さっきの待合室では後ろから見ていたので気付かなかったけど、丸イスの部下の顔
には赤い発疹が出ている。
そうか、そういうことだったのか。
この人達は土木作業員か造園業者で、一人の作業員が作業中に“見たこともない”虫に刺されて顔が腫
れてきたので、責任者ともども病院に駆け込んで来た、と。そういう事だったのだ。
女医は「アレルギーはありますか?」とか「応急処置は何かしました?」などと訊いてどういう注射を
打つべきか思案していた。
“見たこともない”虫に刺されたので治してくれ、と言われても普通困るだろうが、医者なら何とかし
なきゃならんのだろう。僕なら「その虫をつかまえてきて下さい」と言ってしまいそうだ。
ま、でもそこから先はもう殆ど僕の興味の範疇ではなかった。
事の次第が分かると僕は本気でどうでも良くなった。
だから右手から血を抜いてもらうと、よろめきながら、さっさとそこを立ち去ったのであった。



カルト番組

この前、頭の中に突然浮かんできて困惑したテレビ番組があった。
僕の故郷、滋賀県のUHFテレビ局、びわこ放送で夕方やっていたバラエティー番組だ。
僕は当時高校生。よく高校から帰宅すると意味もなくテレビをつけた。
そんな時には必ずチャンネルをカチャカチャと動かすものだ。
で、目に飛び込んできた映像。それを突然にこの前思い出した。
その番組は「笑っていいとも」のテレフォン・ショッキングを明らかにパクった番組だった。
しょぼいセットに野暮ったい男性アナウンサーが素人の高校生と二人で座っている。
「何?」と思って僕はしばらくそれを観ることにした。
アナウンサーは妙に若者に媚びるような喋り方をする。タモリほどの経験と叡智はない模様。
高校生は当然ながらちょっと緊張しながら、はにかんでいる。二人が話していたのは今学校で流行って
いる事や趣味のこと…。
びっくりするほどつまらなかった。
どうしようもなくローカルな空気が漂っていて嫌だったので僕は何度かチャンネルを変えたが、何度も
そこに戻ってきてしまった。仕方なしに僕は本腰を入れて観ることにした。
すると、やおら恍惚の瞬間がやってきたのだ。
アナウンサーが言ったのだ。「さぁ、それではそろそろお友達を紹介していただきましょう」
高校生は「ハイ」と言ってメモ帳を取り出した。僕はえっ?そうなの?と思ったがその通りだった。
高校生は「○○ちゃんを紹介します」と言って電話を掛け始めた。電話は当たり前のように本家本元そ
っくりの黒いボックスで隠されていた。
トゥルルル、トゥルルル…(アナウンサー「○○ちゃん観てるかな?」)トゥルルル…ガチャ。
「ハイ、○○です」
僕はびっくり仰天した。その番組は素人高校生の友達の輪を広げる番組だったのだ。
最後に「明日来てくれるかな?」「いいともー」までやっていた(若しくはそれを模したもの)。

次の日も観てしまった。
昨日紹介された○○ちゃんが出ていた。明るくてちょっと田舎風にパンチの効いた子だった。
その女の子は今度は男子を紹介した。カッコイイと噂になっている男子、ということで。
そのカッコをつけた田舎の男子は次の日中学時代の友人に電話していた。
そんな風にしてどんどん友達の輪が広がっていった。
たまに電話が上手く繋がらない時があったので恐らくあれにはヤラセはなかったのであろう。
少なくとも高校生個人個人には何の利害関係もない番組だった。
なので僕は電話が繋がらない時はアナウンサーと一緒にハラハラしてしまった。
そして、もしかしたらそのうち自分の知り合いが出てくるんじゃないか、と思ってソワソワするように
なってしまってもいた。

その甘酸っぱさはあんまり人に言えないものだった。

…先日、今住んでる近くの私立男子校のイベントに近隣の女子高校生たちが大挙して押しかけていた。
駅が彼女らで盛り上がっていて、休日なのにみんなそれぞれの制服を着ているので僕は最初何だろう、
と思った。
後で聞くとその日は男子校が一般に解放された日なので女子校の子とかが一斉に見に来ていた、という
事だった。
彼女らは何か出会いを求めていたのかもしれないし、ただ単に友達と騒ぐのを楽しみにしていたのかもし
れない。とりあえずその時の駅は積極的なムードが充満していた。
ま、僕はその男子校で具体的に何が行われていたのかは知らない。
しかしその夜、僕はぼんやりとテレビを見ていて突然さっきの「偽物テレフォン・ショッキング」を思い
出したのだ。遠い昔のカルト番組。
どうしてそんなものを思い出したのか考えたけど、理由は半分わかっていた。
その日駅で触れたソワソワした女子高校生たちの空気感だ。それが無意識のうちに僕の脳内の海馬を刺激
して、脳の中に埋もれていたデータを読み出してきた。
僕は他に思い出すことはなかったのか、と情けなくなった。
でも、しょうがない。あの番組もまた青春の1ページだったんだ、と僕は渋々、認めることにした。
結局、あのテレフォン・ショッキングは短命だった。僕の知り合いも出ることはなかった。
しかしこうして僕に何らかの思い出を残したんだからその意義は果たしたのかもしれない。
それにしても地方は時々、大胆なパクリをする。



探偵さわぎ

僕が東京にはじめて出て来た時、住んでいた部屋。
その階下にちょっとした変人が住んでいた。
一日中大音量でラジオを聞いているくせに僕が物音を立てるとヒステリーを起こし天井をドンドンと棒で突き上げた。お前の方がうるせーよ、と僕はしょっちゅ うツッこんでいたものだ。
他にも色々とあって僕はその変人にはかなり不快な印象を持っていたのだが、奴の部屋は玄関の前を通ると少し匂い、カーテンは一年中閉まっていて、窓には大 きな亀裂が入っているぐらいだったのであんまり係わり合いにはならない方が得策だと思い、なるべく気にしないようにしていた。

ある休日のこと。
変人部屋にピンポーンとインターフォンが鳴り、訪れる人がいるような物音が聞こえた。僕は珍しいこともあるもんだな、と思い窓を開け、上からその様子を 伺ってみることにした。その変人は状況証拠から察するに無職であることは間違いなく、その頃には僕は一体こいつはどういう生活をしているのだろう…と興味 を抱くようになっていた。
訪れた人はどうやら電気量販店の従業員らしかった。何かの電化製品の設置に来た、と言っている。変人はドアを開けて、招き入れているようだ。会話が少しあ るようだが、上からでは聞き取れない。だけどゴチャゴチャと何か業者の人がせわしなく動いている様子は伝わってきた。
僕は階下が気になって仕方なくなった。
上から覗くといつも閉まっている筈の玄関のドアが開け放たれている。そんな事は見たことがない。いつもうすら寒くジットリと閉まっているだけのドアだ。業 者の声が聞こえてきた。困ったトーンがする。「あのぉ、この辺を片付けてもらえませんか?」
僕は色めき立った。何かある!
電気量販店の人間がそんな風に訴えることなど極めて稀なことだ。僕は我慢できなくなった。見てみたい。下を。
僕はまだその変人野郎の実物をこの目で見たことが無かったし、当然その部屋の内部も見たことがなかった。僕は出かけるフリをして階段を降り変人部屋の内部 を見てやろう、と決心した。やるとなれば急がなくてはならない。
いつ業者が逃げ出すか分からない。ドアもいつまでも開きっ放しではないだろう。僕は急いでスニーカーを履き、下に気付かれないようにドキドキしながら ソーッとドアを開け、あっという間にスタタタと軽快に階段を降りていった。

目に入ったのは先ず玄関に50センチくらいの層になっているゴミの山で、ハッと気付くとそれは部屋の奥からせり出てきたものだった。そして瞬間的に古新聞 を敷き詰めた鳥カゴのような匂いがムッと鼻をついた。壁がひどく黄ばんでいた。元々自分の部屋と同じものだった部屋がどうしたらこんな惨状になるのか…。 僕は予想以上の結果にショックを受けてしまった。
自分の部屋の下にずっとこんな世界がまとわりついていたなんて。
残念ながらその時人影は捉えられなかった。変人と電気業者はゴミ溜め部屋の奥のほうにいたみたいだ。僕は心を静めるためにそのまま外に出て、近所をしばら く散歩することにした。しかし心を静めているうちにあの異常さが怖くなって、今度はあの部屋の前を通って自分の部屋に帰るのが億劫になってしまった。
これはかなりの誤算だった。知らなければ良かったのかもしれない。1千万人以上が暮らしているここ東京には知らなくてもいいことが沢山あるのだった。ま、 1時間後ちゃんと帰ったんだけどね。その時はもう変人ゴミ溜め部屋はいつもの様子に戻っていた。ふぅ、である。

その深夜。
だんだん腹が立ってきた。ずっと奴のインパクトのせいで僕はその日、奴の事を考えてしまっていた。奴のおかげで僕の休日は台無しになったわけだ。
その休日に僕は他にやるべきことが一杯あった筈だし、もっとリラックスして過ごせる筈だった。それが、ばってん思いがけない精神的ストレスを蒙ってしまっ たのだ。
悶々と考えていると、ガチャと下の変人部屋のドアが開いた。奴はいつも深夜になると10分ほど出掛ける習慣があった。僕はそれを変人のコンビニ旅行と呼ん でいた。すると、鬱屈したストレスが僕にまた変な好奇心を起こさせた。こうなったら今日は徹底的に奴に振り回されてやろうじゃないか。僕はそう思うと、す ばやく身支度をして玄関を飛び出した。
路上に出る。すると50メートルほど先にぽつりとコンビニの方に歩いてゆく人影があった。奴だ。
僕は探偵になりきることにした。尾行でもしちゃろう。競歩のように歩を進め、僕は奴との距離をだんだんと詰めて行く。いくら近づいてもいいのだ。追い抜い たとしても向こうは僕が上の階の住人だと知る由もない。僕が10メートルほど近くに来た時、奴は案の定コンビニの明かりに吸い込まれた。いよいよ顔を見る 時だ。その時がやって来たのだ。
僕は何でも無い顔をして、変人野郎に続いてコンビニに入った。奴は早速立ち読みを始めている。後ろからその姿を見た。それはただのオッサンであった。む さっくるしいメガネに突き出た唇、中肉中背でひよこっぽい髪型。どこにでもいる普通の身なりのトータル・バランスの悪い、汚いオッサンだ。
見てしまうと実にあっけないものだった。拍子抜けしてしまった。こんな平凡な人だったのか。コンビニを一回りして僕は帰った。
世の中には変人がいっぱいいる。しかしその殆どが平凡な人間なのだ。僕の探偵さわぎはあっという間に熱を失い、終わった。



ワールドカップ開催によせて

今年は日韓共同開催のサッカー・ワールドカップがある。
ということで僕も何かサッカーについて書いてみたい。

僕とサッカーとの繋がり。それはやはり中学時代の部活だろう。ひっそり囲碁将棋部なんかにいそうな僕だが、実はサッカー部に所属していたのだ。まぁ、でも 下手くそだった。
とりあえず「いる」部員という位置だったな。でもそれなりに友達も沢山いたし、楽しかった。思い出す事と言えばシュートを決めた、とかそういう事じゃなく 中学生らしいバカな思い出ばかりだ。例えばY君というお調子者の驚いた顔。
隣町の中学校へ練習試合に行った時、僕達下級生は上級生の試合をぽーっと見るしかなかった。そんな時、彼はもぞもぞ体を掻いているうちに生えてきた脇毛の 1本目を発見したのだ。試合の事は何も覚えてないが、あの驚いた顔はよく覚えている。

練習試合に行く途中にも思い出はある。
部員50人以上の集団で自転車に乗って遠征先に行くのだが、K君とT君が道端の電信柱に張ってある風俗店の看板にどっちが先にタッチできるかを競い合いな がら走っていたせいで下り坂で接触、みんなを巻きこんで視界から消えていった。
普段の練習でも思い出すのはリフティングとか辛いランニングとかじゃなく、間抜けな思い出ばかりだ。今強く頭に表れたのは、春の日の朝練のあとの出来事 だ。
いつも僕に「絵を描いてくれ」とせがむ奴がいて、そいつが又いつものように「おい、けん。バカボンのパパ教えてくれ」と話し掛けてきた。
僕はいい気になって「よっしゃ、じゃあついて来い」と言って何を考えていたのかグラウンドにスパイクで跡をつけ出した。そしてその線を僕のあとについてき て濃くしてくれ、と周りのみんなにも頼み、巨大な絵を描いたのだ。
出来上がったバカボン・パパは直径25メートル(推定)の大きさだった。僕らは急いで部室で着替えて朝の教室へ向かった。そして3階の窓から巨大なバカボ ン・パパを眺めたのだ。 3階ってことは中3だったんだ。バカだ。

当然その地上絵はサッカー部以外でも話題になった。みんな一時間目の授業が始まるまでガヤガヤと見ていた。どっかのクラスがグラウンドで体育をしたせいで その寿命はすごく短かったんだけど。ま、そんなことを妙に鮮明に覚えていたりする。
ワールドカップといっても、僕に書けるのはこれくらいのことだ。



生活の知恵

生活の知恵が好きだ。
どうして好きなのかこの前考えたんだけど、結局は「怠ける」ことを肯定しているから好きなんだということが判明した。
社会一般的には「怠ける」ことは肯定されていない。一生懸命努力してこそ立派、とみなされたりする社会である。しかし生活の知恵はそうではないのである。
お手軽簡単に楽をして万々歳という価値観なのである。(面倒くさい生活の知恵なんてものは本来の性格上「生活の知恵」とは呼べない)
そんな盲点をつくところに僕は惹かれるのかもしれない。実に巧妙な大衆文化である。例を挙げていってみよう。怠けっぷりを大検証だ。

「バナナやミカンの皮を使って皮靴を磨くときれいで安上がり」というのは一見面倒くさそうだ。しかし革靴をミンク・クリームとブラシで丁寧に手入れしてい る者にとってはこれはある意味、皮靴への冒涜ともとれる怠けっぷりなのだ。
「濡れた新聞紙で窓ガラスを拭き、乾いた新聞紙で乾拭きすればあっという間にキレイになる」という知恵は経済的で簡単。とどのつまり大した怠けっぷり、 だ。新聞なんか勿体無いから取らないという人には電話帳でもいい。
「口臭が気になる人はお茶の葉っぱを噛むべし(フラボノイド効果)」というのもいい。これを実践している人はガムを買うのも面倒くさい人だろう。それより 歯をちゃんと磨こう。「花瓶に10円玉を数枚入れておくと花が長持ちする」という怠けっぷりも素敵だ。毎日水を変えた方が絶対的に有効なのだが、多忙な人 はそんなことに構ってられないのだ。
ちなみに10円玉は排水口のヌメリ取りにも有効だ。何個か入れておくだけでOK。掃除も楽。「夜泣きする赤ちゃんに爆音の音楽を聴かせるとすぐに寝つく」 というのもすごい生活の知恵である。赤ちゃんはうるさい音が聞こえてきたらその音をシャットアウトしてそのかわりに眠る、という本能をもっているらしい。 育児ノイローゼなんかふっとばせ。
そうそう、チベットのマニ車も素晴らしい。お経を読むのが面倒くさいから回転するガラガラみたいのに経文を入れて1回まわすと1回読んだことになる、って そりゃ名案だ。
人生、我慢などせず必要以上に頑張ることはないのだ。

料理法なんかにも生活の知恵はたくさんある。
料理はお金と手間をかければ大抵おいしくなるもの。しかしそんな手をかけるつもりなどない人の為にちゃんと生活の知恵は存在する。
「出来たてカレーに餅を溶かして入れると寝かせた味になる」というのは、すぐにとろみとコクが出て好評らしい。
「羊羹を切る時はラップの上から包丁を垂直に入れれば快適スムーズ」くっつかないし包丁も汚れない。一挙両得な技である。
「魚のウロコはビールの王冠で取ると簡単」ウロコ取り器なんて人生には必要ない。「銀杏は紙袋に入れて電子レンジでチンすれば煎らなくてもOK」というの も渋い。考えてみれば電子レンジでチン、という事象もすごい。この稿では文明の力は省略するけど、全自動洗濯機とかもそう。昔の女性は三度の飯と洗濯だけ で一日が終わっていたのだ。今の女性は文明の力のおかげで随分自由になったことだろう。空いた時間に、他の仕事を持つ人もあれば、風呂に2時間かける人も 出てきた。化粧に1時間かける人もザラにいる。昔より自由になったのは確かだ。文明など全く知らない先祖が見たらきっと怠慢に見えるのだろう。

とは言え先祖のひとり、おばあさんの知恵袋もあなどれない。結構悦に入った怠けっぷりを発揮してくれている。
基本的に昔の人は働き者。しかし賢い知恵で何気に楽していたことは見逃せないのだ。
「砂糖が容器の中で固まった時は食パンの切れ端を入れたら半日でサラサラに」
「ガムが服にへばりついたら焦って取らずまずは氷で冷やす」
「固いジャム瓶の蓋はお湯で温めるべし」
「焦げついた鍋はお酢と水を入れ煮立てると、すぐに焦げが剥がれ落ちる」等々。
他にも「おばあちゃんのぽたぽた焼き」の包装袋にもあるように数多くの怠け法がある。結局みんなグータラしながら得する事が好きなのである。一生懸命努力 する人はみんな誉めるけど、自分は楽な方を選びたがるのだ。そしてそのおかげで自由な時間ができたならみんなその時間を謳歌するのだ。そう、全然それでい い。生活の知恵が世間からおおっぴらに認められているようにみんな堂々と正直に怠ければいいのだ。

最後に僕の大好きな生活の知恵をひとつ挙げたい。雪深い冬の北海道の生活の知恵。「吹雪の中を歩く時はコートのフードをすっぽり被り、後ろ向けに歩け」と いうもの。前に屈みがむしゃらに歩いて体力を浪費するよりは、少し時間は掛かるけど後ろ向けに歩いた方が楽チンだよ、という生活の知恵。
冬に生きる覚悟と、ある種の諦めが滲み出る素晴らしい生活の知恵(怠けっぷり)だ。



今朝はとっても怖い夢を見た

今朝はとっても怖い夢を見た。妙に鮮明に覚えている夢というのを時々見る。今日はそれをメモに残してみた。

先ず僕は一人でテレビを見ている。どうも独り暮らしをしている様子。
さびしい夕飯を食べたあとコーヒーを飲みながらバラエティー番組を見ている。
番組の内容は今流行りの心霊もの。島田紳助と局の女性アナウンサーが「こわいですねー」などと平和に言っている。そんな番組。
そのコーナーではある工場に出没する霊についてリポートしていた。
完璧に作ったはずの電化製品がすぐに調子が悪いという理由で返って来るんです、と工場で働いていたアルバイトの人がモザイクをかけられながら喋っている。 よくよく調べてみるとそれが昔、工場内で自殺した人の浮かばれない霊の仕業であることが判った。で、御払いを受けたという内容であった。
さして怖くないな、と僕は思っている。
VTRが終わりスタジオに場面が切り替わると島田紳助が「さぁ、それでは発表しましょう。皆さんメモの用意はいいですか?」などと訴えかけている。
そして女性アナウンサーが続ける。「このメーカーでは商品を回収しましたが、あと1台が見つからないそうです。今日はその機種を発表しますので、もしその 商品をお持ちの方がいらっしゃいましたら今すぐ局に連絡して下さい」スタジオ内がざわつく。夢はこのへんから何とも言えない不穏な空気が流れ始める。ぬ るっ、と画面が切り替わり古ぼけた写真が映し出される。「その機種の名前は××(自粛)製の14型テレビSV−14。××(自粛)製の14型テレビSV− 14です。横面に「94.2」というラベルが貼ってあります」紳助が「皆さんテレビですよぉ」と囃し立てている。スタジオのざわめきがより強くなってい く。僕は内心自分の持っているテレビとはメーカーが違っていたので安心していた。しかし、こんな発表をよくメーカーが許したなぁ、なんて思いながら。気が つくといつの間にか部屋が暗くなっている。ボーッとテレビの明かりだけが目の前に広がっている。僕は目の焦点を合わせようとしているみたいに眉をひそめ る。

そして、もしや・・・と思ってしまう。
恐る恐るゆっくりとテレビに近づいてみる。それはいつもの見慣れた僕のテレビである。良かった。しかし番組で言っているテレビとそっくりなのである。ガー ンとする。そんな筈はないと思い、画面に映し出されているテレビと目の前のテレビをよく見比べてみる。信じられないが同じにしか見えない。そして(これま た)恐る恐るメーカーを調べる為にテレビ横面を見てみる。番組で言っているようにラベルが貼ってあった。

××(自粛)製の14型テレビSV−14。はっきりと「94.2」と書かれてあった。ひえっとして身の毛がよだつ。焦りながら一生懸命記憶を手繰ってみ る。確か買った時はパナソニックだった筈だ。いつの間にすり替わったんだ?。それより僕の記憶違いか。買った瞬間から間違っていたのか?何処からかこいつ がひとりでにやって来てすり替わったのか。訳も分からず僕は愕然として番組を見直す。するともう音が鳴っていない。出演者の気配がない。放送事故のように たださっきの古ぼけたテレビの写真がボーッ映し出されているだけ。真っ暗な部屋の中、僕はそこに一人だけ番組に取り残された感覚に陥る。この世に僕以外の 人間がいなくなったような感覚でもある。

そしてはっきりとテレビが僕を見ていた。僕はテレビからの視線を感じた。僕が見ていたテレビが今やくるったように僕を見ている。ハッと我に帰り僕はチャン ネルを変えようとする。しかし、変えられない。何もいう事を聞かない。電源を消そうとしたが消えない。ボタンがすかすかである。テレビは確かにさっきまで 正常だったのだ。何が何だかわからない。途端に僕は体が強張って動けなくなってしまう。テレビは自分の古写真をただ煌々と映し出している。それと僕は目と 目を合わせている。僕ははっきりとそれを感じた。霊だった。

ここで目が覚めた。夢の中でぐぁぁ!と発狂しかける瞬間に目が覚めた。
そのコンマ一瞬前、テレビの映像が何かに変わるのが見えた。あの後一体何が映し出されたのか・・・。今となってはそれが大変気になる。
多分テレビの見過ぎだな。



僕にとっての癒し系

世に癒し系と評される人は数多くあれど、僕にとっての癒し系と言えば何を隠そう荒俣宏なのである。僕はこの人の語り口調が異常に好きだ。文章にも圧倒的な 知的包容力があるのだが、何と言ってもその語り口調の穏やかさと鋭さに心射貫かれて気持ち良くなってしまうのである。

正月に実家で観たNHKの特番『ハリー・ポッター・イギリス魔法紀行・ファンタジーの故郷を訪ねて』。ビールのほろ酔いの中、堪能した。荒俣宏と野村佑香 とのイギリス二人旅。
名場面続出だった。特にスコットランドへ向かう電車の中での二人の爆睡の図は素晴らしかった。ボックス席で荒俣宏はポカンと口を開いて豪快にイビキをかい ていた。野村佑香も安心しきって無防備なまま熟睡していた。僕もあやうくつられて寝そうになった。
子供の頃からの癖で今でも電車に乗る時は車輛と車輛の連結部に乗るという荒俣宏だが、さすがに紳士の国イギリスでは御行儀良くしていたのも何だか心温まっ た。
その他、画的に楽しめるポイントが沢山あった。口をすぼめながら何度もオホホと笑う荒俣宏は欧米に於いても全然動じていなかった。のっしりとした巨大な体 にいつも同じセーター。余裕綽々なのである。
あの水木しげる画のような典型的日本人顔もいつもながら不思議と愛嬌があって憎めなかった。図体だけでかい無害な妖怪とでも言えようか。オカルトにずっぽ り足を踏み入れているうちに自分も妖怪になっていた荒俣宏御大なのである。
歩き方が芦屋雁之介の「裸の大将」そっくりなのも奇跡的に素晴らしかった。どうしてそんな歩き方になってしまったのか。番組内ではハリー・ポッターと同じ 柊の杖を購入し、ご満悦だった。
普通の顔で英語ペラペラなのも僕を安心させてくれた。御大にとっては英語なんぞ大脳の一万分の一も使っていないのだ。何でも御大は幻想文学の原書を日本語 に訳されていないという理由から中学生の頃から自分で訳して読んでいたらしい。さりげなく悠然とした英語力だった。
しかし、おごることない実に人の好さそうな物腰・・・。ああ、癒される。
博物全般に関する造詣の広さと深さも超人的で畏敬の念を持たざるを得ない。僕は超人が好きだ。ざっと守備範囲を挙げていくと幻想学、オカルト、フェティッ シュ、図像学、パラノイア学、起源学、動植物学、産業考古学、解剖学、魔術、錬金術、古代科学、路上観察学etc.。
感嘆せざるを得ない。すごすぎる。
さすが一時期、ようかんとたい焼きだけで暮らしていた男である。何事にも徹底しているのだ。今でも出版社に寝泊りし、健康を気遣う全ての行為を嫌い、ただ ひたすら数百万円する稀少本や木版画を買うためだけに生きている男。癒されるじゃないか。

僕は彼のようにはなれない。なる素質もない。何より度胸に欠けている。
僕は日常の平穏なる暮らしを心のどこかで願っているような人間なので到底彼のようにはなれないのである。御大のようにぬいぐるみの目玉だけを収集すること なんて無理なのである。
荒俣宏は完全に度胸が据わっている。人生台無し、に近い倒錯した知への欲望に支配された驚異のオッサンなのである。
しかし、そんな彼の語り口調が実に穏やかで優しかったりするのだ。
仏様か、幸せの絶頂にいるイソギンチャクのよう、である。
どうしてあんなにも柔らかくなれるのか・・・。
僕はそんな人間に憧れる。僕は決してイルカなんかには憧れない。癒されもしない。
僕は荒俣宏に憧れ、そして癒されるのだ。



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