Official interview
【蠣崎未来 Official interview】
彼女はその日、名古屋市内の小さなバーでライブを行った。バーカウンターと仮設の椅子に座るお客さんの前で、彼女は歌い始める。生声が充分に届く距離だ。足元にはジョッキに入った飲みかけのビールがあった。日中、ぶっ続けで立ち仕事をしていたとあり疲労の影も見えたが、ライブとは無関係な雑踏と、拍手のなかで彼女は歌いきった。こぢんまりとした空間に、彼女の実直さが浸透していく感があった。 蠣崎未来にとって初めてとなるインタビュー取材を行ったのは、夜11時を回った頃だ。ライブ会場最寄りのチェーン系居酒屋に、彼女は「お待たせしました」と、にこやかにやってきた。ライブを見て抱いたイメージとは少し違う。インタビューを進めるにつれ、その理由にわずかずつだが気づいていくことになる。まだ大した会話も交わしたことがないため、まずは子供の頃の話から切り出すことにした。
――岐阜出身ということですが、子供の頃から音楽への興味は強かったのですか?
いや、全然なかったです。関西地方の大学に進学したんですが、そこからでしたね。門限とかが厳しい家庭だったので、一回、岐阜から出たかったんですよね。
――そうすると本格的に音楽に触れたのは大学時代から?
偶然入ったのが音楽系のサークルで、それがメチャクチャ楽しくて(笑)。当時の先輩たちが聴いていた音楽、EGO-WRAPPIN'とか、ダニー・ハサウェイとか、インディーズのポップスシンガーまで。それまで普通のJ-POPしか聴いたことなかったから、一気に広がっていきました。扉じゃないですけど、今の私に影響していると思います。
――当時から自分で歌いたい、ギターを弾きたいという願望はあったのですか?
ギターは弾きたいなと思っていたんですが、すぐに辞めました。ミーハー的な気持ちで入ったから、こんな難しいことはやってられないと(笑)。エレキギターでしたけど、音楽を何も知らないから「ギターかっこいい」とビジュアルから。記憶にも残らないぐらい序盤で止めて、後はみんなで集まってしゃべってばっかりでした(笑)。音楽系のサークルと言っても、最初の頃の私にとっては遊ぶことがメインでしたね。
――自分で演奏することは全くなかったのですか?
先輩を見ていたら、なんとなくやってみたいなという思いが芽生えてはきたんですけど……、引っ込み思案なので自分から言い出せないというか。くすぶっていたんですけど練習しないし(笑)、出る幕なくて。
――当時、好きだった音楽、やりたい音楽みたいなものは?
ふんわりしてました。弾き語りをしたいと思ったのも大学を卒業してからで、その頃は楽しく、みんなでワイワイできればいいなというぐらいだったので。そんななかでもEGO-WRAPPIN'はすごく印象に残ってますね。あとはフィッシュマンズとか、ウルフルズとか……。とはいえ、とても人見知りなのでやりたいと言えなかった。ああしたい、こうしたいというのも漠然としてたし……。
――そんななか、初めて人前で歌ったのはどんなシチュエーションだったんでしょう。
サークルでのうちわのライブですね。特にやりたいものもなかったので、他のバンドに混じらせてもらってギターで参加しました。自分主体でやったのは2年生になってからです。春休みの合宿で笹川美和さんの曲を歌いました。ギターが弾けないので2曲ぐらいですけど(笑)。でもそれぐらいから、音楽サークルの活動がちょっと面白いと思いだしました。何も計画的に考えられないので直感なんですけど。ただ、サークル以外で歌いたいという気持ちはまだなくて、みんなで音楽で楽しく盛り上がれればそれでいいというか、それ以外の方法を知らなかったんですよね。
――ボーカルスタイルは、すでに今に近かったのでしょうか?
もうちょっと優しかったです(笑)。裏声を使ったり、透明感のある声を目指していて。でも本来の声じゃないから声量が全然でなくて、声が小さいとかけっこう言われましたね。でも、当時はどうすればいいのかわからなかったんですよね。最終的に恥ずかしさを捨てることだと気づきました(笑)。
――恥ずかしさを捨てられた、具体的なきっかけがあったのでしょうか。
EGO-WRAPPIN'とかを歌っていると、優しい歌い方では全然はまらないというか。素でいかないとはまらない。だから笑われてもいいからやってみようと。それで一曲歌ってみたときに、まわりから「いいじゃん」と言われて。自分の素の声、カッコつけてない声でも気持ち悪くないんだな、大丈夫なんだなと思って。それぐらいから、自分の歌い方で歌っていこうという気持ちになっていきましたね。
――ちなみにサークル以外でライブをする発想は全くなかったのですか?
想像つかなかったですね。1mmも考えてなかったです。自分で曲を作るという発想もなかったので、一切作ってないです。だから大学を卒業してしまえば終わりという感じでした。ひとりでライブをしたことも、大学の時はなかったですから。
――そうすると卒業後には、音楽に触れる機会も少なくなってきたのではないですか。
幸い、大学のときにライブに行くようにはなっていたんですよ。そのまま関西地方に就職したんですが、好きだったcutman-boocheっていうバンドが解散して、ボーカルの金佑龍さんがソロになったタイミングでした。そのライブを初めて見たときに、弾き語りってすごくいいなと思って。その後にリーテソンさんというアーティストに知り合うんですけど、それが今のスタイルにつながってますね。彼はギターやウクレレで弾き語るんですが、初めて見たときに本当に衝撃を受けて。それでテソンさんのおっかけみたいになったんですよ(笑)。「何、この人、もうすべてのライブに行こう」と。有給取ってでもなんでも。あんまり行くから向こうも気づいてきて(笑)、話をするようになりました。その後、私が知り合いのバーで軽く歌うことになって。そうしたらテソンさんが「行くよ」みたいなことを言ってくれたんですよ。でも連絡先も知らないし社交辞令かと思っていたら、当日、本当に来てくれて。しかもライブが終わってお見送りしたときに「君はもっと歌ったほうがいいよ」と言ってくれて。その後、「僕のライブのオープニングアクトで出てよ」と誘ってもらうようにもなりました。それぐらいから私も楽しくなってきて、アコギを買って本格的に弾き語りをはじめました。
――それまでは弾き語りという発想はなかったんですか?
どっちかと言うと人に弾いてもらって歌うという発想で。最初は、曲は途中で止まるし、自分の練習不足なのにライブ終わって号泣するみたいな。オリジナル曲もなかったですしね。当時は「What a Wonderful World」という曲をよくカバーしていたんですけど、金佑龍さんに「本当にギターも下手くそだけど『What a Wonderful World』は良かった。きっとどこでも歌えるようになるからやれ」みたいなことを言われて。憧れてた人に言われたから、今でもその言葉は印象に残ってます。
――オリジナル曲はいつ頃から始めたのでしょう?
テソンさんや神戸で出会った音楽好きの友人達の紹介のお陰で、ライブの機会が増えてきた頃、私のオリジナル曲を聴いてみたいという意見を頂くようになって、やってみようと思いました。最初は、曲ってどうやって作るの、というところからで(笑)。コードも勉強してこなかったしギターも下手だし、もうわからへんと。ライブの前だったと思うんですが、公園でなんとなくギターを弾いて、言葉を乗せたらなんとか一曲できて。それを人前でやるのはすごく勇気が必要だったんですけど、一曲だけライブでやった時に、オリジナル曲が一番良かったと言われて。何も知らないし、何もできないから自信がないけど、私にも自分の言葉でやってみることができるのかな、許されるのかなと。才能もイマジネーションもないと自分で思ってるから、すごく救われたんですよね。ポンポンとは作れないけど、オリジナルを増やしていってライブを増やしたいなと思うようになりました。
――その後は快調に?
いえ、いわゆる遅筆です(笑)。学生時代に真面目に練習しなかったのもあって、ギターの技術も知識も全部我流でほぼ一からのスタートだったので、ぼんやりと理想はあっても それを形にする想像力も力もなくて 非常に苦戦しました。それにあまり言いたいこともないし、人に向けてどうこうとかもない。だからなかなか産まれてくれないんですよね。本も読まないし、良くも悪くもインプットが少なすぎて語彙とか全てが少ない。だから素直は素直というか、実直な感じだとは思います。凝ってない、洒落てない。楽曲を作っているというよりは、日記を曲にしている感じです。引っ込み思案という性格もあって、披露したくてもできないことを、ギターを弾いたり曲を作ることでできるんだっていうのはあるんですけどね。
――普段は言えないことが曲に乗っている実感はあるんですね。
いろいろ楽になった感じはあります。説明とかもうまくないし、私ってすべてにおいて流暢じゃないんですよね。直感では動くけれどもそれだけで、自分が思っていることを人に伝えることが下手くそというか。人とマジマジと対面で会話したり、コミュニケーションもしてこなかったし、避けてきたし、面倒くさいと思ってた。だけど色々な人と関わっていく中で印象に残る出来事や、感情が爆発しそうな瞬間があって。そういううまく言葉で伝えられないことが、曲にするとなぜか言えるという感じで……、だから救われるというか。
――どんなインスピレーションから生まれることが多いんですか?
これだけは耐えきれないという思いがあると、ようやく曲になります(笑)。ちょっとした感情では、今までの癖で自分の中に収めてしまう。そうじゃない出来事に会うと書きたくなる。
――時間がかかるのは、特にどういった部分ですか?
歌詞ですね。メロディとかコード進行はできても、書きたいことがなくて。自分の事をシンガーソングライターだとは思ってるんですけど、客観的に曲を作れるタイプではないし、何より歌詞を書くことに対しての抵抗が強いんですよね。書いてはボツにしていってしまうタイプ。基本はギターを触り続けてメロディを見つけて、それに合う言葉、なおかつ自分の気持ちに合う言葉を探すみたいな。最終的に、弾きながら歌ってしっくりくるかこないか。それも感覚の話ですからね。だから残念なぐらい遅いです(笑)。
――しっくりこないと感じるのは、どんな部分なのでしょう?
頭で考えすぎると、今の私より歌詞がかっこよくなりすぎる。自分と合わない。自分がかっこつかないことは、今までの人生で知ってるんですよ。どこかでつまづいてるし、ダサい、でもそれが自分の個性と思えるかもしれないって、大人になって感じるようになりました。そこがイイというか……いや、嫌なんですけど(笑)。
――初の音源はライブ録音ですが、収録されているMC含め、そうしたパーソナリティも感じる仕上がりに感じました。
初めての音源がライブっていうのは、実はどうかもとも思ったんですよ。もともと録音を経験したほうがいいということもあって、とあるスタジオで録っていたんです。録音はしたんですけど、なんかよくわからないなと。私の感覚がすごく漠然としていているから、エンジニアさんにも何も言えなくて。なにもわかってないし、頭のなかでも鳴ってないし、ならライブ音源のほうが今の私には嘘がないし、潔いのかなと。未熟な時点でライブ音源を出すことに抵抗もあったけど、一番素直な音源が録れるんじゃないかと最終的には思いました。
――最後に今後の活動についても聞かせてください。
音楽がないと、お酒を飲んで大衆居酒屋で人間観察することぐらいしかやることがなくなってしまうので(笑)。知らない町に行ったりとか、おもしろい人に出会うとか、それが音楽をはじめてから知った楽しさでもあるし、私の曲に非常に反映されていて。今後も自分の歌ったことのない場所、知らない人たちの前で歌いたいなと思いますね。
――蛇足ですが、お酒飲みながらステージに立つようになったのはいつからですか?
学生のときからですね(笑)。そもそもすごい矛盾なんですよ。人前に出たいと少なからず思ってるから出るんですけど、緊張するからお酒でごまかしていた。それがルーティンになってくると、ちょっとライブ前に飲んでおこうか、みたいな感じになってきて。だから酒豪とかではないですよ(笑)。
インタビューが終わったのは、すでにラストオーダーも過ぎた頃、深夜1時近くだっただろうか。100分ほどかかって、ようやく少しばかり彼女の芯に近づいた。自分を知ってほしい、理解してほしいけど、引っ込み思案で照れ屋さんでもある。初対面で見せたにこやかさは、足元に置かれた飲みかけのビールと一緒なのかもしれない。
不思議なことに、歌声からはそうした距離間を感じることはない。アルバム「蠣崎未来 LIVE 2016」を聴いても、すぐに芯の部分に触れることができる、気がしてしまう。歌詞カードに並ぶ単語は多くないが、それは決して「伝わらない」言葉ではない。情感をもって歌われる選ばれた言葉たちは、むしろシンプルに心に突き刺さってくる。そして蠣崎未来が何者か、を率直に語りかけてくる。「蠣崎未来 LIVE 2016」に収録された20分。小さなバーで披露した30分。はにかんだ笑顔の裏に隠し持つシンガーソングライターとしての覚悟と強さが、その歌声には確かに宿っていた。
インタビュー&テキスト 阿部慎一郎
撮影 緒車寿一
|
Copyright (C) MOVING ON,INC. All Rights Reserved.