2016年5月20日 六本木VARIT.ライブレポート 「女たち」「カバー」「わたし」で切り取った沖ちづるの今 2016年5月20日。歌と朗読劇からなるステージで新境地をみせた3月のライブ『二十歳のあなたへ』以来となる、沖ちづるのワンマンライブが六本木Varit.で開催された。『わたしたちの時間』というタイトルがつけられたこのライブは、これから沖ちづるが行なっていく自主企画イベントの第1回。19歳の新鋭として夢中で突っ走った2015年を経て、沖ちづるのこれからを占う夜となった。 第1部「女たちの時間」 目の少し上で前髪を揃えた沖ちづるが、白いシャツにダークネイビーのロングスカートという女学生風の出立ちで現れ、「タイガーリリー」を歌い始める。タイガーリリーとは『ピーターパン』に登場する、ネバーランドで暮らすインディアンの酋長の娘。幼稚園の頃、父兄を招いての劇で『ピーターパン』が催された際に、沖ちづるが演じたお気に入りのキャラクターだ。 一途で負けん気が強くて意地っ張り。弱みを見せるのが苦手。そんなタイガーリリーに「強いふりはもういいよ」と語りかける。 13歳の沖ちづるが二十歳の自分に向けて書いた手紙をモチーフにした『二十歳のあなたへ』は、素直になれなかった自分を優しく受けとめる歌だが、『タイガーリリー』は『二十歳のあなたへ』と対になっているように思える。 この夜、3部構成のステージで展開された『わたしたちの時間』の第1部は、「女たちの時間」と名付けられていた。「女の子のアレコレを描いた歌です」と言ってから歌われた「まいにち女の子」。女子中・高で思春期を過ごした沖ちづるが女の娘だけの世界をコミカルに、ちょっとした皮肉をもって描いた群像劇だ。この夜はこれまでよりも大きな視線で、閉鎖された女子空間を微笑ましく眺めて歌えている、ように感じた。わずらわしいアレコレに振り回されず、歌詞にある通り「みんな同じだ」と笑い飛ばせるたくましさがでてきたのだろう。 「ちょっぴり怖い女性の歌」だという「わかれうた」。「大切な人の前で本当の私を見せられない女性の歌」だという「裸の私を」が続く。どちらも別れの歌だ。「裸の私を」では、「よくみられたい飾った自分」と「みてほしい素の自分」との狭間で恋心が繊細に、あやうく揺れていた。その心模様はヒリヒリと痛い。 「女たちの時間」は、高揚感のある三拍子のギターストロークに乗せた「うつろいゆく者たちへ」で締められた。うつろいゆく景色や“君”。そのはかなさを引き受けつつ、歩みを進めようとするドラマチックな響きは、さながら沖ちづる版マーチングソングのようだった。 第2部「カバーの時間」 前回のワンマンライブで森田童子の「たとえば僕が死んだら」のカバーを披露した沖ちづる。この夜の第2部は「カバーの時間」となった。肩の部分がシースルーになった白いドレスシャツにジーンズを合わせた沖ちづるが、再び「たとえば僕が死んだら」を歌い出す。森田童子の歌に漂う、世界から取り残されていく者たちの寂しさ。終わり時の美しき叙情。失われた時への追憶……。これらのフィーリングは、沖ちづるの美意識ととても相性がいい。 カバー2曲目は、インターネットラジオ「むこうみずようび」でもリクエストがあったという中島みゆきの「糸」。歌う者の資質を問う名曲中の名曲に真っ向から挑んでみせた。「カバーの時間」の最後は、オードリー・ヘップバーンの主演映画『ティファニーで朝食を』で流れる「ムーン・リバー」。沖ちづるは劇中で、オードリー・ヘップバーンがギターをつま弾きながらこの曲を歌うシーンが大好きらしい。ここでは沖ちづるがつけた日本語バージョンで披露された。 この「カバーの時間」のMCで印象的なつぶやきがあった。少女から老婆までひょういさせるかのように歌う中島みゆきのライブを観て、言葉にできないくらいの衝撃を受けたという話の最後に「同世代じゃなくてよかった……」と。沖ちづるのチャーミングなおとぼけさんぶりが顔をのぞかせた一瞬だった。 第3部「わたしの時間」 黒いノースリーブのワンピースドレスにあらためた沖ちづるが笑顔で現れる。「ここからの第3部は『わたしの時間』です」。照れくさそうな、それでいて誇らしそうな表情が印象的。客席からも朗らかな拍手がそそがれる。 女子校を卒業し、街に出ていろんな人々と交わるようになった沖ちづるが、ちょうど1年くらい前に作った「下北沢」から第3部はスタート。2ndシングル「景色」くらいまでは、もやのかかった孤独な風景とそこでもがく自分を鋭く切り取った歌が多かったきらいがあるが、街で右往左往する人々の喧噪を群像劇として描いた「下北沢」から、沖ちづるは次のステップを踏んだ感がある。自分だけでなく、街で関わった人たちとの人生ドラマをも描こうとし始めたのではないだろうか。もともとストーリーテリングの才能は折り紙つき。そこに、“誰かの息吹”がリアルに加わることで、歌の物語は説得力を増してきた。 外の世界に飛び出した「下北沢」で掴んだものが、人生という旅の物語を歌った最新シングル「旅立ち」の力強さに繋がっていそうだ。 続いての「クラスメイト」の主人公は、それほど仲良しではないけど目が合えば話をする関係、という絶妙な距離感から級友の死を振り返る。一見、たんたんと。時の流れは心にちょっとしたささくれをつけて去ってゆく。同時に古い傷跡をぼんやりと中和してもくれる。痛みと癒し。そんな流れゆく時の魔法を、「クラスメイト」は表現できた密やかな名曲だ。 次の「高架下の二人」は、別れを美しく、凛とした物語にできる沖ちづるの本領が発揮された1曲。出口なしの関係に陥ったふたりができることは優しい「さよなら」だけ。でも、そんなひと言も優しさゆえに口にできない……。「さよならだけが人生だ」という常套句があるが、沖ちづるはそんな別れの情感を描くのが本当にうまい。 佳境に向かうステージは、沖ちづるがライブでずっと歌い続けてきた「光」。そして、“大人になるってこと”をみずみずしく描いた青春映画の匂いを思い起こさせる新曲の「誰も知らない」へ。 かつてあるインタビューで、沖ちづるは「光」について次のように語っていた。「“私は歌を歌ってるへんな子だ”と悩んでいた自分を救い、認め、“歌い続けてもいいんだ”と決意させてくれた歌」だと。そして「聴いてくれているお客さんにも、素の自分を受け入れていいだと思ってもらえると嬉しい」とも。この夜も沖ちづるは、歌い手としての原点となった「光」を、客席のひとりひとりに語りかけるように歌っていた。 沖ちづる初めての自主企画ライブは「二十歳のあなたへ」で幕を閉じた。沖ちづるは「二十歳のあなたへ」で、素直になれず、自己嫌悪と孤独にさいなまれていたかつての自分を「恥だと思わずに」と許した。大人からみるとささいな悩みでも、10代なかばの少年少女にとっては苦しみの種になっている悩みがある。「二十歳のあなたへ」で沖ちづるがみせた「許す優しさ」は今、思春期のまっただなかでもがいている少年少女の心にも響くだろう。そんな普遍的なメッセージをもつ青春の歌だ。 『わたしたちの時間』は、沖ちづるの描く人間模様が「みんなの物語」として、よりリアルな力を持ち始めていることが伝わってくるライブだった。また、二十歳の表現者として、人生という旅路に大きな一歩を踏み出した青春の鼓動が伝わってくるライブだった。 なおこの夜、6月17日に沖ちづるの主演映画の上映イベントが、7月30日には渋谷のduo MUSIC EXCHANGEで歌と朗読劇からなる歌語りライブ『二十歳のあなたへ』が再び開催されることが発表された。楽しみに待ちたい。 ■セットリスト 沖ちづる『わたしたちの時間』 2016年5月20日 六本木Varit. 【第1部「女たちの時間」】 01. タイガーリリー 02. まいにち女の子 03. わかれうた 04. 裸の私を 05. うつろいゆく者たちへ 【第2部「カバーの時間」】 06. たとえば僕が死んだら 07. 糸 08. ムーン・リバー 【第3部「わたしの時間」】 09. 下北沢 10. クラスメイト 11. 高架下の二人 12. 光 13. 誰も知らない 14. 二十歳のあなたへ (文)山本貴政 (写真)SUSIE [SPECIALページに戻る] [むこうみずレコード TOPページに戻る] Copyright (C) MOVING ON,INC. All Rights Reserved.
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