2018年5月24日 下北沢 風知空知 3rd Single「負けました」リリースライブ “青春が終わったら” 悔しさと苦しみを強さと優しさに変える沖ちづるの今 ◎「負けました」のあっけらかんとした強さとしぶとさ 高校を卒業してから本格的に弾き語り活動を始めた沖ちづるは、今、22歳。勢力的なリリース活動の傍ら、ライブにおいても、弾き語り、バンドスタイル、弾き語りと一人芝居による「歌語り」など様々な活動を展開してきた。 何ひとつうまくできないと自己嫌悪にまみれながら「それでも歌っていいんだ」と自分を認めてあげた「光」、どんな景色が待っていても歌い続けるんだと決意した「景色」、「この場所に立つ為に来たんだろう」「声を奪われても歌うんだろう」と夢を追う気概を歌った「旅立ち」、「夢は覚えていますか。優しい大人になっていますか」と十三歳の自分と対話する「二十歳のあなたへ」、夢を背負う痛みと覚悟を歌った「僕は今」……。 これまで沖ちづるは、思うようにゆかない日々に悔しさをにじませ、うまくできない自分に苛立ち、「変わりたい・変われない・変わりたい」とい揺れる心の間で葛藤し、周囲との距離に疎外感を感じながら、歌い続ける自分を見つめてきた。上記の歌は高校時代から21歳までに、沖ちづるが作ってきたキーナンバーだ。これらはとてもパーソナルな内容だが、類まれなストーリーテリングの才もあって、いつの時代にもいた簡単に首を縦には触れない若者たちに共通する青春を描いた物語となっていた。 3月21日。22歳になった沖ちづるは「負けました」というドキリとするタイトルのシングルをリリースした。これまでのように負け続ける日々の悔しさ、はがゆさを綴る一方で、「負けました」には負けた今日を受け入れ、「また立ち上がり行くでしょう」「また笑う日を目指すでしょう」と前を向く、あっけらかんとした強さがある。まるで、明日がくるさ、明日には勝てるさと言わんばかりの。肩の力が抜け、一回りたくましくなった、そんなしぶとさがあるといっていい。沖ちづるはどこか変わったようだ。 ◎つながっていく沖ちづるの物語 5月24日、下北沢風知空知。『3rd Single「負けました」リリースライブ“青春が終わったら”』で、沖ちづるは久しぶりのワンマンライブに臨んだ。本編の前に登場したのはChizuru。沖ちづるが青春真っ只中の学生時代に出会った「夜明けの歌」(eastern youth)、「たとえば僕が死んだら」(森田童子)、「くせのうた」(星野源)、「ジュゴンの見える丘」(Cocco)のカバーが披露される。 Chizuruは真っ白なシャツに真っ白なショートパンツ。在りし日の初夏の少女、といった趣きを漂わせる。沖ちづるのバックボーンを垣間見られたひと幕だった。 本編が始まる。この夜の沖ちづるの歌はひとつ階段を上がったように聴こえた。以前より、「ひと声で瞬間的に会場の空気を変える」と歌唱が評価されていた。また、ひとり芝居を融合させた「歌語り」に挑戦したことで演者として物語を語りかける歌唱にも磨きをかけていた。ただ、どこか硬く身構えているようなぎこちなさがあったのは事実。 しかし、シングル「負けました」のあっけらかんとしたたくましさが、のびやかさが、歌唱にも宿ってきたようだ。堂々と「これが今の私です」「私はどうですか?」「そして、皆さんはどうですか?」と気負いなく立っているように見えた。 この変化の背景には何があったのか。沖ちづるが本編のMCで語ったようにChizuruがカバーした4人のアーティストは皆、日々の苦しさや悔しさを強さや優しさに変えられる者たちだ。 沖ちづるは日々のワンシーンと、そこに潜む感情の機微を時に鮮やかに、時に痛切に描いてきた。愛すべき者たちへの申し訳なさと感謝、諦められない夢の旅路を歩む誇りと痛み、自分とは何かという問答……そんな逡巡を繰り返す日々を青春像として描いてきたといっていい。 そして今、ままならぬ日々のなかで一旦「負けました」と認めた。そのことで、気負いなく過去も今も未来も眺められるようになったのかもしれない。その時々の自分とも優しく接しられるようになったのかもしれない。だからなのか、この夜は、これまで日々の断片に見えた歌が、「沖ちづるのたどってきた日々」という繋がりとして、より聴こえた。「ああ、この時の沖ちづるはこうだったんだな」とライフストーリーの流れが見えてきたのだ。 ◎負けを認める強さが生む説得力 「メッセージ」の後に歌われた2曲目の「朝の光」はジブリの映画のみずみずしさに通じる可愛らしいワルツだが、この夜は、緊張感が漂う歌が多いレパートリーにしっくりと馴染んで聴こえた。気が張っている生活のなかにも、ふと朝の光に心がほぐれる瞬間がある。そんな当たり前の一瞬が、沖ちづるの生活の1片としてすんなりと落ちてきた。 「そんなに頑張らなくてもいいんだよ」と強がりなタイガーリリー(ピーターパンの登場人物)に歌いかける「タイガーリリー」では、自らにもそう許すような説得力があった。 新曲の「取り急ぎ」では、「了解です。お願いします。それでは取り急ぎ」といった会社での決まり文句を「僕らの日々の合言葉」と歌う。社会で働き出した沖ちづると同世代の若者たちは、この言葉を日々のなかでこれらの言葉を不器用に口にしていることだろう。そんな姿に、ユーモアを交えた優しい目線を投げかける。次の「まいにち女の子」は、女子校の生態をこれまたユーモラスにちょっとした毒を混ぜて描いた歌だが、毒っけがちょっと弱まっているように聴こえた。 この2曲は、「取り急ぎ」も「まいにち女の子」も、いずれも「愛すべき僕らの日々」であり、青春時代から少し年を取った今、実は地続きにある日々なのだと伝えているようだった。 ステージは、中学時代に亡くなった級友に「調子はどうだい? 僕ら大人になったよ」と語りかける「クラスメイト」、冒頭で述べた「二十歳のあなたへ」、時の流れの儚さを描く「うつろいゆく者たちへ」、愛する人を前に、台風の到来にざわめく夏の少年少女の心情をオーバーラップさせた「夏の嵐」と進む。 沖ちづるの歌に登場する最年少は13歳の彼女だが、13歳から22歳までの時の流れがしっかりと伝わってきた。 この夜の最終盤へ。「旅立ち」、沖ちづるが高校卒業後に毎日のように訪れては歌っていた下北沢の群像劇を描いた「下北沢」が謳われる。「下北沢」の歌詞に出てくる「下北沢南口」が再開発でなくなってしまったのは、沖ちづるの、そして我々のうつろいゆく日々と奇妙に符号していた。 「年を重ねるのはなくし続けることか」「年を重ねるのは悲しいだけじゃないだろ」と歌う新曲の「青春が終わったら」は、終わりを受け入れた歌だ。同時に、これからも続く日々を受け入れる歌だ。ここには一旦、敗北を認めてまた立ち上がる「負けました」と似た強さがあった。 この強さは「いつか終わるから嘆くこともない」「いつか失うから辞めることもない」と、不思議な諦念と生命感をはらんだ「街の灯かり」の説得力を確かなものとした。 最後に「負けました」と、「僕は今」を持ってステージは幕を閉じる。僕は今に登場するのは、主人公を育てるために夢を捨てた父と、夢がないと嘆く友人。沖ちづるは彼らの思いも引き受け、「それでも僕らは夢を追う」と高らかに締めた。 この夜、Chizuruとして歌った青春時代の沖ちづるを励ました歌同様に、沖ちづるは悔しさや苦しみを強さと優しさに変える懐の深さを得たように見えた。その強さと優しさは、現状を受け入れる「負けました」と「青春が終わったら」という歌を書いたことで、得られたのではないだろうか。 ままならぬことにもがく日々を受け止め、うまくできない自分を「それでも続ければいいんだ」と認める。その上で「朝が来たら、明日が来たら」と前を見据えて、堂々と歩んでいけばいいのだ。自分も皆も。そんな場所に立った沖ちづるのこれからが楽しみだ。 文=山本貴政 撮影=YOSHIHITO_SASAKI ■セットリスト 2018年5月24日 下北沢 風知空知 3rd Single「負けました」リリースライブ“青春が終わったら” Chizuru 01.夜明けの歌(eastern youthカバー) 02.たとえば僕が死んだら(森田童子カバー) 03.くせのうた(星野源カバー) 04.ジュゴンの見える丘(Coccoカバー) 沖ちづる 01.メッセージ 02.朝の光 03.タイガーリリー 04.取り急ぎ 05.まいにち女の子 06.クラスメイト 07.二十歳のあたなへ 08.うつろいゆく者たちへ 09.夏の嵐 10.旅立ち 11.下北沢 12.青春が終わったら 13.街の灯かり 14.負けました 15.僕は今 [SPECIALページに戻る] [むこうみずレコード TOPページに戻る] Copyright (C) MOVING ON,INC. All Rights Reserved.
|