2018年11月26日 下北沢 風知空知 ライブレポート 沖ちづるワンマンライブ2018 Thanksgiving 5年目に向かう沖ちづる。 青春を描く道のりで“青春そのもの”になった 2014年3月、高校を卒業した沖ちづるは弾き語りでのライブ活動を始めた。高校時代、軽音楽部の仲間と組んでいたバンドは卒業後の進路を選択する18歳の岐路を前に解散。「歌を歌っているおかしな子」という周囲の視線に居心地の悪さやコンプレックスを感じながら高校時代を過ごしていたという沖ちづるは、(初期のキーナンバー「光」に見られるように)「それでも歌うんだ」と自分を認め、歌い、生きてゆくことを決心していた。そして、「ひとりでもいいから歌いなよ」という友人の言葉も後押しとなり、ギターを手にひとり、ステージに立った。 あれから約5年。いくつかのシングルやアルバムがリリースされた。だが、「歌手になる」という夢の旅路は誇らしくもあり、つらく険しいものだった。場の空気を一変させる類まれな声と、巧みなストーリーテリングでシンガーソングライターシーンの新星として登場したが、挫折感、疎外感、焦りにとらわれる夜も多かった。 23歳の誕生日を迎えた2018年11月26日、下北沢の風知空知で『沖ちづるワンマンライブ2018 Thanksgiving』が開催された。この夜は、沖ちづるが弾き語ってきた約5年間の歩みをたどるステージとなった。 ◎痛みを伴う青春で得た「自分は歌っていいんだ」 1曲目は「僕は今」。夢がないと嘆く友、自分を育てるために夢を捨てた父をモチーフに、変われない自分/変わりたい自分/変わらない自分の狭間で、夢を追う決意と、そのために背負い込む痛みが綴られる。 思えば、沖ちづるの歌う夢は痛みを伴うものがほとんどだ。そこには「我ら青春! 夢に向かって頑張ろう!」という明るいニュアンスはない。むしろ疎外感にさいなまれた孤独の陰が色濃い。ただ、周囲との間に膜が張られているかのように、大勢とは馴染めない「私の青春」に身悶えている若者はいつの時代にもいる。沖ちづるが歌うのは、そんな者たち一人ひとりの日々なのだ。 2曲目からは、沖ちづるが2014年に自主制作したミニアルバム『はなれてごらん』に収録された「きみのうた」「土にさよなら」「いとまごい」「あたたかな時間」「はなれてごらん」「光」と、これらと同時期によく歌っていた「まいにち女の子」「ブルーライト」が久しぶりに披露される。 右も左もわからないなかを闇雲に進むパッションが詰まった初期の名曲たちだ。 「いとまごい」は中学2年のときに初めて書いた歌。何もうまくできないと苛立っては、家族に当たり散らして自己嫌悪に陥る……。そんな日々で沖ちづるは、つたないギターを手に「いとまごい」を書き「自分は歌える、自分にも何かができる」と光を見出した。2016年夏、沖ちづるは自ら脚本を書き、演出した『歌語り 二十歳のあなたへ』に挑んだ。これは一人芝居と歌が融合した実験的な舞台だったが、ここでは「いとまごい」が生まれ、友達に電話で聴かせた夜のことが重要なシーンとして描かれていた。 また、「光」は「こんな自分でいいんだと自分自身を認めてあげる。それが聴く人にも伝わるといい」と、あるインタビューで沖ちづるが述べていた歌。「みにくくていい。声を高く外へ響け」と自己承認した沖ちづるは、「光」を書き上げて歌い続ける人生への決心をつけたという。当時小さなライブハウスで、ヒリヒリとした切実さで迫るこの歌が胸に刺さった人は多いだろう。 ◎どうせ終わるからやめなくていい ステージは中盤に。「景色」「小さな丘」「わるぐちなんて」「タイガーリリー」「夏の嵐」「クラスメイト」「二十歳のあなたへ」「メッセージ」「うつろいゆく者たちへ」と、ファーストミニアルバム『景色』、セカンドシングル「旅立ち」、セカンドミニアルバム『僕は今』の収録曲を中心に進む。 いわゆる全国流通盤を出せば一応はデビューを果たした、ということになる。周りをサポートする大人が現れた。テレビの歌番組にも出た。ドラマや映画の挿入歌にもなった。ツアーに出かけフェスにも出演した……と、喧騒の日々が始まったはいいが、そうそう事がうまく運ぶわけではない。いいことばかりはありゃしないとばかりに。これらは、そんな騒がしい時期に書かれた歌たちだ。いくつかの喜びや手応えを大切に秘め、多くの挫折のなかで書かれたものだ。元々痛みを伴う夢を歌うだけに、これらの時期の曲にあっても軸がぶれることはない。「歌手になる」という夢の入り口に立ち、歩み出した若者のドキュメントとして聴き応え十分だ。 「クラスメイト」は中学時代に亡くなった級友に向け、「僕らはもう大人になったよ」と語りかける私信。沖ちづるは別れの情景、失ったものへの寂寥感をとても美しく描く。一方で、そこには「どうせなくなるんだから悲しむこともないし、このまま続ければいい」という不思議な生命感がある(その特徴は「街の灯かり」で特に顕著だ)。「クラスメイト」でも、輪廻とは違う見据え方で、「まだ先のことだけど僕らはまた出会う。それまではお元気で」と、どこかあっけらかんと再会が約束される。 このような「どうせ終わるから今は終えなくていい」という「終わらなさ」が沖ちづるのしぶとさを支えているように見える。沖ちづるは時のうつろいのなかに、終わりがなく変わることもない人々の営みを見ているのかもしれない。 また「二十歳のあなたへ」は、苛立ちと自己嫌悪にこんがらがっていた十三歳の沖ちづるが二十歳の自分に向けて「夢は覚えていますか。優しい大人になっていますか」と綴った手紙を元にした歌。「タイガーリリー」は強がりな女の子に自分を投影するかのように「強いふりはもういいよ」と優しく語りかけるもの。いずれも沖ちづるの極私的な心の襞が感じられる一品だ。これらのなかでは唯一最近書かれた「夏の嵐」は、台風前夜にわけもなく気持ちを高ぶらせる少年少女のざわめきや、夏のワンシーンとともに鮮やか思い起こさせ、物語の描写力に唸らされる。 現在の沖ちづるへのブリッジとなったこの時期の歌を続けざまに聴いていると、夢の旅路に足を踏み出した頃の沖ちづるの日々が青春映画のようにステージに浮かびあがってきた。沖ちづるが青春を描くというよりも、沖ちづる自身が青春の産物のように思えてきた。 ひとつ歌い終える度に風知空知の窓の外から、下北沢・南口商店街を歩く若者の笑い声やクラクションの音が劇中音楽のように流れ込んでいた。窓を挟んだ向こう側でもある青春が華やいでいた。 ◎負けから立ち上がり、笑う日を目指す 就職が決まったらしき旧友と久しぶりに会うも、我彼の間に決定的な距離感を感じてしまう喫茶店でのいちシーンを描いた「向こう側」、弾き語りを始めてから、毎日のように訪れていた下北沢南口の喧騒を眺める「下北沢」と、ステージは佳境へ。 言うまでもなく下北沢にはたくさんのライブハウスがあり、毎晩、楽器を抱えた若者たちが通りを行き交う。古くから演劇が盛んだったこともあり、表現に夢見る若者に溢れた街だ。そして下北沢に関わったことのある多くの大人はこう言う。「若者がやってきて、育って、旅立ってゆく街だ」と。 今、「何故か毎日、南口を出てまっすぐ」と沖ちづるが歌った下北沢駅・南口は、再開発の波に飲まれて姿を消した。沖ちづるの筆が冴える群像劇である「下北沢」に出てくる街並みは、若者の息吹とともに形を変えながら時を刻んでゆく。また数年後、下北沢のライブハウスで「下北沢」を聴きたい。どんな顔をして、どんな思いで「この街」を歌うのだろうか。 この夜の本編は、諦念としぶとい生命力が独特の織りをなす「街の灯かり」、サードシングル「負けました」で幕を閉じた。沖ちづるの現在地点と言っていい「負けました」では、多くの人の支えに「ひとりはじゃない」と心を開き、その期待に応えられない悔しさを噛みしめる。しかし潔く「負けました」と認め、また立ち上がり、笑う日を目指す僕と君が登場する。今までと違うたくましさがある。 繰り返しになるが、沖ちづるの描くのは明るく元気な青春ではない。しかし、孤独な日々に歯を食いしばって笑う日を目指す若者はクラスにひとり、学校にひとり、小さな町にひとり、自分には何もできないと涙する夜の部屋にひとり、いるはず。その一人ひとりがいつの日か大きな街のホールに集って沖ちづるの歌を聴く。この夜、沖ちづるが歩いたこの約5年の道のりと現在地点である「負けました」を聴き、そんな夢の途中のある1日の風景を見たいと思った。 これまでの集大成となったステージは、アンコールで新曲の「baby i love you」を披露して終わった。 文=山本貴政 撮影=YOSHIHITO_SASAKI ■セットリスト 01.僕は今 02.きみのうた 03.土にさよなら 04.いとまごい 05.あたたかな時間 06.はなれてごらん 07.光 08.まいにち女の子 09.ブルーライト 10.景色 11.小さな丘 12.わるぐちなんて 13.タイガーリリー 14.夏の嵐 15.クラスメイト 16.二十歳のあなたへ 17.メッセージ 18.うつろいゆく者たちへ 19.向こう側 20.下北沢 21.街の灯かり 22.負けました En. baby I love you [SPECIALページに戻る] [むこうみずレコード TOPページに戻る] Copyright (C) MOVING ON,INC. All Rights Reserved.
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