沖ちづる初インタビュー(2015年)『私の歌が聞こえますか。』 ―― 2010年代のフォーク女子、沖ちづる、自問自答から生まれる共感。 19歳。ギター弾き語り。東京育ち。発表されている音源も含め、彼女についての情報はまだあまりにも少ない。このインタビューを行った2014年12月時点で、彼女が表立った活動を始めてまだ1年も経っていないのだ。だがその歌声と楽曲は、触れた人々の心に確実に何かを残し始めている。 沖ちづるが歌うのは、家族、友人、クラスメイト、そして自分。そこには意中の男性すら登場しない。半径3メートル内の世界である。彼女が初めて全国流通盤としてリリースする、シングル「光」に収録された3曲「光」「まいにち女の子」「母さんと私」もそれは同じだ。このインタビューでは、彼女がその至近距離にあるものをどう見て、どう描こうとしているのかについて語ってもらった。半径3メートルの世界が、まだ半径3メートルの世界であるうちに。そんなインタビューである。 「人を泣かす曲を書いてしまった、と自分でもびっくりしたんです」 ――音楽には、いくつぐらいの頃から興味を持ち始めたんですか? 「父親が若い頃にバンドを組んでいて、家にギターはあったんですよ。私が音楽をやろうと思ったのは、中学校2年生の時に、知り合いのバンドのボーカルが抜けてしまったことがきっかけで。その時にたまたま私は髭を聴いていて、バンドスコアが家にあったんです。それまでそんなに音楽に興味はなかったんですけど、姉が持っていたCDがきっかけで髭は好きになって。コピーしたいなと思って『これ、やるなら入ってもいいよ』と(笑)。だから、そのコピーバンドがきっかけなんですよね」 ――最初にバンドで歌った曲は覚えてますか? 「はじめは『ロックンロールと五人の囚人』という曲を。思い出すとすごい恥ずかしいですね。先輩に『渋いね』と言われて『いやいや、そんなことないですよ』とか返してるのが、ちょっと嬉しかったりして(笑)」 ――オリジナル曲にはいつ頃から取り組み始めたんですか? 「高校に入って、それなりにしっかりした演奏ができるようになった時に、顧問の先生から高校生のバンド大会があるから曲書いて出さないか、と言われて。ボーカルだからと、私が書いてみたのが初めですね。その提案がなかったら、今、弾き語りをやってなかったかもしれないなと思います」 ――それまでに詞だけでも書いたりしたことはなかったんですか? 「ちょっとはあったんですけど、中学生と高校生の頃って、詞を書くってイタイみたいなことを言われがちじゃないですか(笑)。日記みたいな感じで書いても、隠していたんですよね。誰にも言えないなと。もともと詞とか言葉は好きだったし、音楽を聴く時も、わりと歌詞を大事に聴くことが多かったんです。だから曲を作るとなった時は、自分の詞を誰かに見せてしまうんだ、見せてしまえるんだ、みたいな気持ちはありましたね」 ――その頃はどんな詞を書いていたんですか? 「中学3年生ぐらいの時に詞をしっかり書き始めたんですが、その時は“生きる”みたいな(笑)、テーマが今よりずっと大きくて。今の曲にも出てくるんですけど、中学校2年生の時にクラスメイトが病気で亡くなってしまって、それがずっと自分の中で怖かったんです。物心ついて初めて身近な人間が亡くなったので、人って死んでしまうんだ、と改めて怖くなって。しっかり生きていかないと駄目だなって、思うきっかけになっていきました。だからテーマは強かったですね。今よりずっとむき出しだったのかもしれない」 ――当時、特に歌詞を好きだったアーティストはいましたか? 「ちょうど星野源さんが1stアルバムを出した頃で、その歌詞は衝撃的ではありましたね。こんな優しくていい歌詞を書く人がいるんだと。詞がストレート過ぎると恥ずかしいっていう感情が小さい頃からあったので、それで今でも、ちょっとひねくれた言葉になってしまうんだと思います」 ――ちなみに顧問の先生の提案で、初めて作った曲はどんな楽曲だったんですか? 「一曲目は苦戦して、すごい暗い歌詞になってしまって。『ちょっと重たすぎるね』と結局お蔵入りになって(笑)。しっかり曲になったのは『いとまごい』という曲ですね。大会に出した曲ですし、自分の始まりみたいな曲なので、今でも好きですね。ちょうどその時に、バンドでひとりうまくいっていないメンバーがいて、ありがちかもしれないけど、曲でぶつかったりとかよくしていたんですよ。そういう状況でこの曲を歌ったら、そのメンバーがボロボロと泣いちゃって。『人を泣かす曲を書いてしまった』と自分でもびっくりしたんです(笑)。人の心を動かしたり、感動させたり、そういう感情を自分の言葉と声で与えられるんだっていうのは、びっくりしたし、そこから曲作りが楽しくなってきたのはあります」 ――その後はオリジナル曲をどんどん作っていったんですか? 「自分たちの曲を書こうとはだんだんなってきて、それが今の弾き語りに繋がっています。ただ、当時は女子校でガールズバンドではあったんですけど、あんまりしっくりこない感じもあって。ずっとフォークみたいな感じの歌詞でやっていたので、若々しさとか、この時にしかできない感じが、果たして私たちにあるのかなと。バンドの大会で上に行くような人たちは、キャッチーで、10代の時にしかできないような感じをやっていたんですよね。『私はそれができないんだよな……』と思ってやってました。でも曲を書いていくうちに、自分の歌詞を好きになってきて『いや、私のほうが絶対歌詞いいのに』っていう気持ちを、子供っぽいですけど持つようになりましたね(笑)」 ――その頃から歌詞への美意識はすでにあったんですね。 「歌詞を書いても、文字にしてみて綺麗かどうかみたいなものは、当時からすごく意識していて。例えばひらがな表記をカタカナにしていいか、ということもよく考えるんですよ。見て綺麗だなって思う歌詞は、自分で歌っていても心地いいなっていうのは、その時から感じていたと思います」 「この曲を歌い続けることで、未来の自分が、今の辛い自分を救ってくれるんじゃないかと思えて」 ――その後、弾き語りに移行していくわけですが、ひとりで歌い始めたきっかけはなんだったんでしょうか。 「部活で組んでいたバンドだったので、高校2年生の文化祭で引退なんですね。歴代の先輩を見ていても、バンドが終わると何もやらなくなってしまうんですよ。それを見て、私もここでやらなくなったらみんなと同じだなと思って、続けてみようかなと。今、思うと本当に馬鹿だなと思うんですけど。目立ちたくないって言いながら、本当はすごく目立ちたいタイプなんですよね(笑)。バンドをやっていた頃も、何曲か弾き語りでしかカタチにできない曲があったので、これをひとりでやってみようかなとやってみたのが初めですね。だから今続けているのが不思議なくらい、最初は馬鹿な動機で始めたんですよね」 ――もう一度バンドを組もうという発想はなかったんですか? 「星野源さんとか、Coccoさんもひとりで、そこに対する憧れはバンドを組んでいた時からすごくあったんです。ひとりで舞台に立って、ひとりで下がっていくっていうのが、すごくかっこよく思えて。自分じゃできないなっていう思いも同時にあったんですけど。だからこそやりたかったんだと思いますね。今でもそうですけど、当時はもっとギターが弾けなかったので、これでライブに出られるのかという技術的な問題もあって(笑)。10分のライブからスタートしたんですが、その時は足がブルブル震えて、震えながら『いとまごい』とかを弾いた思い出があります(笑)」 ――それでもひとりで続けようと思えたんですね。 「ひとりの楽さもありますけど、自分ひとりでもできる、というのをまわりに伝えたかったのもあります(笑)。ただ当時はライブは数ヶ月に一回ぐらいで、お客さんも全然いなくて。出るたびに緊張するし、もう辞めようって毎回思っていたんです。ただ今もずっとお世話してくれる親友が『沖の曲は、自分の心にあるギュッと縛りつけられたものを解いてくれるんだよね』と言ってくれて。その言葉を言われてしまうと、歌い続けなければいけないなと感じて。その時は彼女だけだったんですけど、たったひとりでも誰かに褒められたり、認められるとなかなか辞められないもので」 ――そうして楽曲を作り続けるうちに、今回も収録されている「光」ができるわけですね。 「高校3年生、高校最後の夏ですね。これは本当にすごいスピードで歌詞が書けて。受験の時期だし、今までの流れがギュッと変わる時期だと思うんだけど、友だちとかクラスメイトとの関係性がうまくいかなくて、学校に行きたくないなと思う状況になってしまって。受験があったとはいえ、歌うことは好きだったので続けていたんですよ。歌うことに『いいね』って言ってくれる人はもちろんいたんですけど、でも全員じゃなくて、『こんな時期に何やってんだよ、あれ』みたいなことを言われてしまうこともあって。私は恥ずかしいっていう思いが強いタイプだったので『いや別に……』みたいな、気にしていない顔をしたいなと思いつつ、精神的にはすごくくらってしまって。それはそうだよな……と。でもこの詞を書いた時、今はこうやってお客さんもいない状況だし、この先誰が自分のことを認めてくれて手を差し伸べてくれるかはわからないけど、この歌を歌い続けることで、未来の自分が、これを書いた今の辛い自分を救ってくれるんじゃないかなと思えて。ずっと歌い続けなきゃなっていう思いになりました。きっと自分自身に、こういうことを伝えたかったんだな、と思います」 ――曲ができた時、それまでとは違う手応えを感じたんじゃないですか? 「自分がこんな素直に歌を歌うことができるんだな、というのはありました(笑)。この時だからこそ、こういう素直な言葉が出てきたと思います。未来の自分を信じたいみたいな部分があったので、この曲を書いて、未来の自分もそうだし、過去の自分も救っていこうと思いました。これからもずっと歌っていこうと思えた歌でしたね」 ――その後は迷いなく音楽を続けられたのですか? 「『光』でずっと歌っていきたいというのは、明確に見えました。歌い続けてしまうんだろうなと言うか。それまではいろんなことに手はつけても、あんまり続かないタイプだったんですけど、歌だけなぜか続けているなと。それほど褒められていたわけではないのに、なんで歌だけ続けていたんだろうっていうのはありました」 ――自分で自分を認められた感覚はあったんですね。 「別に音楽だけが自分っていうわけじゃないけど、自分が感じたことを歌っていうカタチで発信していくことで、自分自身のことを、一番自分が受け入れられたなっていうのがありますね」 「無理して女の子の優しい部分だけを見つめなくてもいいよな、と」 ――「光」に続いて、同じく収録されている「まいにち女の子」についても聞かせてください。 「出演したライブのひとつに『ブルースを作りなさい』っていう課題があって。絶対書けないと思ったので、最初は取り組む気すらなかったんですよ。でも新曲を作ることが必須のライブだったので何か書こうと。本当に身のまわりにあったことなので、すぐ書けました(笑)」 ――女性社会を俯瞰して描いた歌詞ですよね。 「ちょっと皮肉っぽい曲になっているんですけど、そういう曲は今までなかったんですよ。中学高校と6年間女子校に通っていて、その時の言えなかった気持ちが全部書けたんです。本当はこう言いたかったっていうのがバーっと書けて。歌詞を書き終わった時、『言いたいこと言えたな』みたいな気持ちでした(笑)」 ――今回、あえて状況を風刺するような楽曲に取り組んだのは、どんな理由があったのですか? 「ずっと女の子の社会に思うことがあったんですけど、嫌な思いだったりを言わないという、自分の美学みたいなのがあったんですよね。歌だけじゃなくて、それは普段も。誰かに自分のことを悪く言われても、私は絶対に相手のことを悪くは言わないっていう、すごく真面目な思いを持っていたので。こういうことを言わないほうが美しいと思っていたんですけど、これを書き終わった時に、すっと自分のなかで落ち着いた気持ちがあって。嫌だった思い出とかを、自分の中で完結できたんですよ。こういう曲を生み出せるんだなっていうのと同時に、すっきりした感情があって(笑)」 ――コミカルに描いてはいますが、かなり皮肉が効いた歌詞ですよね。今のお話だと、こういう言葉を歌うことに最初はかなり抵抗があったんですか? 「抵抗というよりは、こういうことを自分も言っていいよなっていう感覚のほうが強くて。無理して女の子の優しい部分だけを見つめなくてもいいよな、と。みんなが幸せになれる部分を見つめていくのも大事なんですけど、もちろんそうじゃない気持ちもお互いいろいろ感じているし、これを歌にしちゃいけないことはないよなっていうのは、今年になってから思ったことです」 ――もう一曲「母さんと私」についてもうかがおうと思います。さきほど女性社会で育ってという話がありましたが、ご家族も女性が多いんですか? 「私と姉と妹、母親。父親が単身赴任しているので、女4人なんですよ。だから女性に囲まれて育って」 ――「母さんと私」は繊細な親子の距離感を描いた楽曲ですよね。 「私は三姉妹の真ん中なんですが、姉はしっかりしていて、妹は小さくて可愛い。私はどっちでもないから、親にかまってほしくて(笑)。母親と買い物に行くのがすごく好きで、しょっちゅうくっついていたんですよ。幼稚園か小学校一年生ぐらいの時、ある雨の日に傘を持って歩いていて、距離が離れていくのが嫌でどんどん近づいて行ったんです。そうしたら母親に水滴があたって、すごく怒られたんです。子供心にそれがすごいショックで。拒絶されたと思ったんですよ。そのショックな感情を最近フッと思い出して。今は自分が成長して、母親から離れていこうとしているんですが、あの頃追いかけていた母親から、逆に今は自分から離れていこうとしている感覚。家族がいてもいずれは離れていくっていうのは、誰にでもあり得ることなんだよなっていうのを感じて」 ――それはずっと心に残っていた景色だったんですか? 「そうですね。ショックもあって、今でも映像として思い浮かびます。あの時、あの場所で怒られたなって。母親に言ったら、全然覚えてないって言っていたんですけど(笑)」 ――実際に楽曲は聞いてもらいましたか?(笑) 「はい、感想は怖くて聞いてないですね(笑)。もちろん母親が嫌いで離れていくわけじゃないんですけど、どうしても生まれてしまう距離感ってありますよね。絶対に近づけない関係じゃないし、ちゃんと話もできるし、もちろん母親としての尊敬とか愛情もあるんだけど、ふとした時に感じてしまう壁みたいな部分。それって自分じゃなくてもあるんだろうなと思うし、きっと母親もそういう思いをして、私みたいな年の頃を過ごしていたんじゃないかな、と私は思うんですけど」 ――この楽曲では、その距離感に答えを見つけるというよりは、揺れ動く距離感をそのまま描写していますよね。 「そうですね。悪いことではないし、良いことでもないのかもしれないけど、だからどうということではなくて、どうしても生まれてしまう関係性。母親もそうだし、父親ともまた違う関係性が生まれてくる。それぞれで生まれてくる関係みたいなものを、詞に落としこんでいこうと思いました」 「自分はどういう人間であるべきなんだろう、それは不安でもあったし、気になっている部分でもありました」 ――今話した人との距離感みたいなものは、いつ頃から意識していましたか? 「小さい頃からそうだったのかも。学校とかでも、みんなが楽しそうにしているのを、どこか自分は引いて見ているとか。きっと混じって騒いだら楽しいし、こんな嫌な思いをしなくてすむのになって思うことは多かったです。そこにちゃんと混ざれば楽しめるのに、なんで自分はこうやって距離を置いて見ているんだろうって、よく思っていました。自分を客観的に見ることは、小さい頃からあったと思う。これをして恥ずかしくないだろうか、とか、そういう感情も小さい頃からありましたね」 ――さきほど聞いた姉妹間でも、同じような感情を持っていたんですか? 「自分は長女と三女に挟まれて、はっきりした何かがないなと思っていて。しっかりした姉っていう像と、可愛くみんなを癒せる妹っていう像。そのどちらでもない自分は何なんだろうっていうは、ずっとあったかもしれないです。自分はどういう人間であるべきなんだろう、それは不安でもあったし、気になっている部分ではあったのかなと思います」 ――今はそうした感情に折り合いがついているんですか? 「すっごく恥ずかしいんですけど、ちゃんと歌を歌えるようになってからですね。自分の立場とかはわからないけど、言いたいことを歌にできるっていう部分が、姉妹のなかでふたりと違うところだし、何かひとつを、こうやって続ければいいのかなっていうのはあったんですよね。性格面では何もないのかもしれないけど、詞を書いて歌を歌うことが自分はできる。それを感じ始めてからは、そこで苦しむ必要はないのかなと思えてきて。どっちの立場でもない自分が怖くて嫌だったんですけど、今ようやくこうやって歌を歌って、両親にもライブを見てもらったりとか、自分を認めてもらえる瞬間がちゃんと見えてきて」 ――自分の居場所を探していた感覚は、ずっと強かったんですね。 「自分はどういう人間であるべきか、みたいなことは感じていたと思います。小学校5、6年生ぐらいの時に、20歳の自分に宛てた手紙を書いたんですけど、それをこの前、偶然見つけて。セロテープで閉じてあったから、20歳までは見るのをやめようと思いつつ、端っこが開いていたので、ちょっとだけ覗いてみたんですよ。『姉はしっかりしているけど……』みたいな文が見えて(笑)。この時から私は苦しんでいたんだな、と思いましたね」 「人ってこんなに恥ずかしくていいんだなって思いました(笑)」 ――沖さんの歌詞は、世代間というよりもっと普遍的な情景や感覚ですよね。ご自身では意識はあるんでしょうか? 「ずっと同世代っていうものが、よくわからないで来てしまったんですよね。『なんなんだ自分?』っていう。そういう自分でも受け入れられなかった存在を、どうやったらちょっとずつ受け入れていけるんだろう、という気持ちはすごくあると思います。自分自身への不安って、多い人と少ない人の違いはあるかもしれないですけど、感じない人なんていないんだろうなと思いますね」 ――詞の面で影響を受けたアーティストはいますか? 「本から入ったんですけど、早川義夫さんの著書を読ませてもらって、なんて素直な詞を書けるんだろうと。人ってこんなに恥ずかしくていいんだなって思いました(笑)。私は恥ずかしいものを隠して生きてきたのに、この人はこんなに恥ずかしくて、でもなんてかっこいいんだろうと。この時代のフォークの方たちって、皮肉っぽい歌詞もそうですし、愛する人を歌ってもそうだし、全然かっこつけてないじゃんと思って(笑)。今まで自分が受け入れられなかった自分を見せて、かっこいい人がいることがすごく衝撃的だったし、嬉しくもありました。どんな詞であれ、自分の思うことを素直に自分らしく言葉にすればいいんだなっていうのは、それで感じましたね」 ――自分でもすぐに歌詞に反映出来ましたか? 「自分をかっこよくないなと思うので、かっこつけてない人の真似をするというよりは、素の部分でいいというか(笑)。やりやすいといえばやりやすかったんですよね。素直にそのまま歌詞を思うように書く。逆に言うと、かっこつけて書いた歌詞は全然良い曲じゃないことがすぐわかる。これは本心じゃないだろ?これ思ってないだろう?思いたかったことだろう?とか(笑)。自分が好きな曲、自分を受け入れられる曲を歌いたいなっていうのが強いですね」 ――目指したい自分を歌うシンガーさんもいますが、沖さんはそういうモチベーションで曲を作ることはありませんか? 「なれないものはなれないし、自分の歌を歌うようになってからは、なったところで意味はないなと思えて。苦しくなる瞬間が自分の中であるんだろうなって思います。自分にできることは、素直に思った曲を書くこと。自分を受け入れられる曲を書くことですね」 ――今回の3曲はベクトルは違いますが、今話したような同じテーマで作られていますよね。 「私の書く曲は、すべてそういう部分はあるんじゃないかと思う。自分はどうしたらいいんだろう、どう見られているんだろう、そういう不安感のなかで、どうやったら自分が素直に伝わるんだろうということは、歌だけじゃなくて、ずっと考えている部分です。だから歌にした時に、すっと出てくるんだろうなっていうのはあります」 ――こんなシンガーでいたい、という像はありますか? 「自分自身が歌える、書ける、しゃべれる言葉で、曲をずっと書いていきたいなと思っています。今は自分に歌っている曲、自分を受け入れるために歌っている曲が多いんですけど、これから歳を重ねていって、歌う対象がどうやって変わっていくんだろうなとは思っていて。まわりから見てどういうシンガーになりたいっていうのは、漠然としていて……、多くの人に認められたいっていう、みんなが思う感情と一緒だと思います。自分がこれまでにない大きい景色を見た時に、何を考えているんだろう、それを感じてどういう曲を書くんだろう……、要するに今と変わらない繰り返しなんですけど(笑)。私がおばあちゃんになってどういう曲を書くんだろうとか、自分がどういう先を生きているのかとか、ちゃんと歌って見ていきたいなと思います」 ――状況は変わっていくかもしれませんが、歌が自分の存在証明あることに変わりがないがないと。 「まわり大勢のなかでの存在証明もそうなんですけど、自分の中で自分を存在させるみたいな気持ちも強いんですよね。昔から他人を前にすると、自分自身を見せつけたりとかできないタイプだったので、自分の内でだけでも、自分を見せつけてやろうと思って(笑)。自分で自分を良いのだと思える、未来の自分もそうだし、過去の自分を良いのだと思えるものを作らなきゃいけないなと思ってます」 インタビュー&テキスト 阿部慎一郎 [むこうみずレコード TOPページに戻る] Copyright (C) MOVING ON,INC. 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