■ 「悲しい三月」
「初恋の嵐」を最初に発見して、その後ずっと彼の公私に渡る良き理解者となるD君が、休眠状態にあった彼らの活動再開ライブの隠し録りMDを持ってきたと
ころから話しは始まりました。
新たなロックレーベルを立ち上げようと考えていた私は、D君の熱意もあり、その音の悪いMDから聞こえてきた、ただものでない声とギターのバンドのライブ
を見にいくことにしました。
下北沢のシェルターのステージに現れたメンバー3人は、まさに大学の軽音サークルのバンドを思わせるたたずまいでしたが、彼のごっつい指から鳴る太いギ
ターと、大きな口を開けて唄うガッツのあるボーカルに圧倒されました。
その後、シャイな彼らとの初顔合わせも終え、話しは本当にゆっくり、少しづつ、着実に進み、彼らとしても、muleという新レーベルとしても、第1弾リ
リースとなる「バラードコレクション」のレコーディングを迎えました。
予算的にも日数的にも、彼らの満足できる場を提供できたか?と質問されたならば、YESとは言えない状況下での、ほぼ一発録りの作業で、緊張でがちがちな
メンバーの中でも、彼だけはレコーディングを楽しんでいるように見えました。
その後もジャケ写撮影、デザインの詰めと、本当にゆっくり彼らのペースで少しづつ物事は進み、ある時は彼らとも意見が衝突したり、意思の疎通がうまくいか
なかったりで誤解が生まれたりと、さまざまな起伏がありながら12月のリリースを迎えました。
アルバム発売時のライブには、彼らの友人がたくさん集まり、初めて見た時よりもより強烈なインパクトを残すライブが行なわれました。彼らと非常に良く似た
タイプの、永遠に学生でいるかのような友人達との打ち上げの輪の中でも、1番の人気者の彼は少量の酒で顔を真っ赤にして、わざとくだらない冗談を連発して
いました。
アルバムを発売してからしばらく時間が経ち、2月となり、彼とサシで話したことがありました。今までは打ち合わせというと、彼のバイトしていたレコード店
がある大宮の喫茶店というパターンが多かったのですが、その時はmuleの近くの居酒屋でした。
マイペースに音楽活動をしていくか、さらに大きな波の中に飛び込んでいくか、悩んでいたと思われる彼の尻をたたくように、大人顔でいろんなことを言い、終
電ぎりぎりまで説教じみた話しは続きました。その日が彼の誕生日なことを別れ際に彼から聞かされました。
その後、彼は今までのマイペースよりは、少し早いスピードで、リハに、曲作りに、ライブにと、エネルギッシュに音楽活動をしていきました。いくつもの素晴
らしい楽曲が生まれ、そしてマキシシングルの「 Untitled 」のレコーディングがスタートしました。
メンバーの顔ぶれにも新たな風が吹いての最初のレコーディングで、メンバー自らがリハスタに録音機材を持ちこみエンジニアリングを行ない、時間の制約を設
けずに作業を続けました。3曲のみの収録ながらも、まるでアルバムのような聴きごたえ感のある作品が完成しました。
PVクリップを撮ったのもこの時期でした。永遠の学生である彼ららしく撮影は郊外にある大学の教室をスタジオのように作りこみ、朝まで撮影をしました。
もっとも、朝まで時間がかかったのは、muleスタッフとメンバーの乗った車が大幅に遅刻したからでしたが。
夏前から、彼らの活動のペースはさらに少しづつスピードを上げていきました。従来の彼らのイメージではないようなタイプの楽曲も生まれてきていました。
その時期の彼らとの打ち合わせは、たいていがリハ終わりの代々木のリハスタ向かいの喫茶店でした。お世辞にもおいしいとは言えないランチを頼みつつ、まじ
めな話しをしようとすると、彼はいつも冗談を言ってその場の空気を和らげていました。
そして夏がきて、彼らはmuleから旅立っていきました。次なる大きな飛躍に向けての彼らの決断でした。最後に彼と話したのは、殺風景なmuleの会議室
でしたが、いつも冗談ばかり言っていた彼とは別人の彼がそこにはいました。
夏が終わり、秋が終わり、そして冬が終わろうとするころに、D君から1枚のCDRを渡されました。それはD君の手によるオム二バス作品で、1曲目に彼らの
新たなスタジオ録音が収められていました。
イントロから、フェードアウトして音が完全に消えるまで、本当に美しい楽曲の全ての瞬間に、彼らの新たなる旅のはじまりと、その旅への不安、そこに立ち向
かう静かな決意がこめられているように感じられました。
ちょうど1年前の誕生日に説教じみた語りをしたことを詫びつつ、音源の感想を携帯メールで送りました。彼からは短い返信がありましたが、その数週間後の3
月に彼は旅立ってしまいました。
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